2009年7月8日水曜日
初めてこのブログへお越しの方へ
このブログは膵臓癌を患った「さら」のブログです。
参考になる内容も含まれていますが、
ハッピーエンドではありませんので、
ご覧いただく場合はご注意ください。
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2009年6月11日木曜日
お別れの言葉
お別れの言葉
本日は、私ことさらの葬儀にご参列いただき、ありがとうございます。
人生の半ばで、思いもよらない病に倒れてしまい、
志もまた半ばとなってしまった部分もありますが、
それでも今日まで、自分なりに精一杯生きることができたと思っています。
今日まで私を支えてくれた家族、暖かい友情をわけあって下さった友人達、
一緒に仕事をして下さった方々に、心から感謝しています。
病気になってから、一番に考えたことは、
当たり前ですが、健康の大切さでした。
食事をしたり、仕事をしたり、旅行をしたりすることが、
それだけでどれだけ素晴らしいことか実感しました。
皆さんはどうか、これからも、
今という瞬間を大切にして生きていって下さい。
本日が、皆さんにお会いする最後となりましたが、
またいつか、別の世でお目にかかれることを願っています。
本当に、ありがとうございました。
さら
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
生前にさらが用意し、
葬儀のときに妹さんが代読したものです。
ご家族の了解を得て、ここに掲載しました。
本名部分は「さら」に置き換えています。
2009年5月16日土曜日
2009年5月14日木曜日
再ホスピス Part1
妹さんから頂きました。
(「無事に再入院」って変ですけど・・・)
前回のように
窓からテラスの花壇が見える病室ではなく、
ちょっとご不満の様子だとか。
↑
あいかわらず「さら」らしい(^_^)
2009年5月13日水曜日
自宅療養Part3
alzが引き続き記事を投稿しています。
ぬけがけして昨夜、自宅へお見舞いに行ってきました。
すみません。
「さら」の妹さんから
「ブログの記事にするならば、
できるだけ、ありのままを伝えて欲しい」と、
いうことなので、
今回はちょっと辛い内容です。
こういう内容をブログに書くべきか迷いましたが
「誰かの参考になれば」という
ブログを始めた「さら」の意図を汲みました。
以下、心の準備をしてからお読み下さい。
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病状はかなり進行してしまっています。
朦朧としていて、ようやく会話できる状態。
奥底にある意識をようやく探り出して
なんとか声に出しているようで、
それさえも辛そうです。
うわごとのような言葉を発することもあります。
そんな状態ですが、相談を受けました。
自宅療養を続けるべきか、病院へ戻るべきか。
現在、介護ケアは24時間体勢、往診も毎日行われ、
電話をすればいつでも駆けつけてくれる場所に先生がいて
自宅療養の体制としては十分な環境にはなっていると思います。
これはずいぶん以前に「さら」が自分で探した体制よりは遙かに良く、
望んでいた体制よりもむしろ良いほど。
本人はウェブで情報を集めていましたが、
やはりこういうことは
ケアマネージャーが集めてくれた情報の方が優れています。
特に往診してくれる先生の携帯電話に
直接いつでも連絡できるというのは
世話をしている家族にとっては大変心強いようです。
しかし「さら」にとっては
専門の医療スタッフがいつでもそばにいる
病室の安心感が得られないのがどうしても不安なようです。
精神的な部分までは
実際に自宅療養をしてみないとわからないのは
当然のことでしょう。
病院よりもむしろ対応がよくて、
トラブルもなく、病状の急変もないのですが
病院ではないという不安は
大きなストレスになっているみたいです。
でも、自宅という心地よさも捨てがたい。
一生懸命に声を出して相談されたものの
明確な答えは出してあげられませんでした。
難しいです。
一度、病院へ戻るのは賛成です。
体力的にも移動ができるのは今の内です。
しかしまた自宅療養をしたくなっても、
今の体制を再び組むのは容易ではないでしょう。
移動できる体力が残っているのかも心配です。
移動自体が大きく体力を消耗しますから。
今日明日には、
自宅療養を中止して病院に戻るかを
決定しなければならないようです。
「自宅で病院並みの看護を受けるにはどうしたらいいのか」と
がんセンターの先生に相談していた「さら」を思い出しました。
先生の答えは、
「大金持ちになって自分で病院経営するしかないよ」
alzは笑って「そりゃそうだ」なんて
言っていましたが・・・・。
2009年5月9日土曜日
自宅療養Part2
昨日は退院と初めての夜で、本人並びに両親も私もかなり疲れてしまいました。
今日は午前中、看護士さんに来て頂き、姉の体調も落ち着き始め、ようやく家族も一休みできました。
明日は母の日なので、家族で何か出来ればと思っています。
自宅療養によって、病気のことばかりの毎日から抜け出せたのが、「さら」にとってなによりの刺激になっているのではないでしょうか。
まだ介護のペースが掴めていないそうで、もう少し自宅へのお見舞いは遠慮したほうがよさそうです。
なにもかも初めてのことばかりで、ご両親もてんてこ舞いでしょうね。
何はともあれ、自宅療養が成功してよかったですね!
2009年5月7日木曜日
ホスピス Part4
可能な限り更新しますので
よろしくお願いします。
昨日、会ってきました。
最初はとてもだるそうで
目をつむったまま、一言、二言だけ。
ほとんど話もせず、
今日は調子が悪そうだなー、と思っていたのですが、
Mさんがお見舞いにくると俄然元気になって
「あっちでお茶しよう」と言い出し、
談話室で紅茶を一緒に飲みました。
どうやら
刺激があれば元気に起きられるみたい。
(私は刺激にならない・・・^_^;)
GWが終わり、私も病院へいく時間が減りそうです。
豊島病院の緩和ケア病棟は24時間面会可能です。
東武東上線大山駅から徒歩10分、
池袋駅からバスも出ていて「豊島病院」のバス停もあります。
バスだと池袋から20〜25分くらい。
池袋駅東口時刻表
池袋駅東口乗場
↑昨夜ニュースになっていた閉店した三越の裏。
早ければ土曜日には自宅療養になる予定です。
その前に、という方は明日にでもぜひ。
「隣りの笹塚っ子」さん、
勇気を出してコメントありがとうございます。
また勇気をだしてくださいね。
ぜひ会いに行ってやってください。
2009年5月5日火曜日
ホスピス Part3
前回の写真の真上はこんな感じ。
まさに森林浴です。
昨日、顔を見てきました。
森林浴の効果なんでしょうか?
すこぶる調子が良かったです。
最近は会話も辛そうな日々でしたが
昨日はたくさんの会話をしました。
「ペース配分がわかってきた」そうです。
この分であれば週末には自宅療養に移れそう。
「次はどこに行こうかなー」と
楽しそうに思案していました。
ところで
「さら」という名前の秘密。
中学の頃にはついていた愛称だそうです。
愛称がついた経緯は「教えない」と。
「忘年会で皿回しをしたから、って聞いたことあるけど」
って言ったら、
「あ、それでいいや」だって。
かなり嬉しくない経緯で付いた「さら」のようです。
500円さんの
「確か、「風と共に去りぬ」が大好きで・・・云々、という理由ではなかったかと記憶しているのですが。」
は素敵な経緯ですね。たぶん採用になるかと(^_^)
2009年5月3日日曜日
ホスピス Part2
本人「さら」がブログを続ける気力がないので、
これまでコメントに投稿していた「alz」が
本人の許可を得てブログを続けます。
ブログを書けないほど体力がなくなっているわけではなく
泣き言や文句ばかりになってしまうのが書いていて嫌なのだとか。
コメントを寄せていただけるのは「うれしい」ということなので
「では、私(alz)がブログは続けましょう」となりましたので、
ぜひコメントを引き続きいただけると幸いです。
彼女のように上手な文章は書けませんのでご了承ください。
本人からメッセージ:
先日、お見舞いに来ていただいたにも関わらず、
お会いもせずに帰っていただいてしまい
本当に申し訳ございませんでした。
alzも同じ日の夜に行ったのですが
やはり追い返されました・・・。
時計の針の音さえも不快に感じていたので
人に会うどころではなかったようです。
写真は昨日(5/2)。
外泊許可を得て自宅へ戻る途中に寄った智光山公園での様子。
「自分の写真をアップする最初の写真がこれとは・・・」と
ガックリしてましたが、心配していただいている皆様には
「さら」が希望通りに緑を満喫できていることをご理解いただけるのではないかと。
自宅に戻った「さら」は病院よりもずっと元気です。
自分でも調子がいいと。
できれば自宅で今後も過ごしたいと言うことなので、
可能であれば自宅療養できるような体勢にする予定です。
今回は一時帰宅なので今日(5/3)夜には病院へ戻ります。
alzは「さら」などと言ったことないので違和感あります・・・。
ほかの方々がそう呼んでいるのはよく耳にするのですが。
どうして「さら」という愛称なんでしょう?
2009年4月24日金曜日
2009年4月21日火曜日
2009年4月20日月曜日
入院中Part13
あと一年、好きなことをして遊んだり、習い事などできる体調があるのなら、本当に後悔なんてなくなりそうです。
そのためにも、ギリギリまでガン細胞にはおとなしくしていてもらいたい。
朝から晩まで、気持ちのいい1日が欲しい。そんな1日の夕方、ビーチサイドの椅子に座って夕陽を眺めながら死ねたら、なんの文句もありません。
2009年4月19日日曜日
入院中Part12
それでも、忙しいなか、沢山の方にお見舞いにきていただき、本当にありがといございます。すっかり皆さんには甘えてしまっていて、ホントにすいません。
せめてもう一度、自分の足で散歩ができるまでには回復したいです。点滴がないと生きられないのに、点滴ノイローゼです。
なんとか、自分の口で食べられるようになること。まず、そこから目指さないと。つくづく病院が嫌になりました。とにかく一度家に帰りたいです。
2009年4月17日金曜日
入院中Part11
それから、コメントに書き込みいただいた通り、昨日、車椅子に乗せてもらって病院の周りを散歩してきました。浜離宮は、遠すぎたので、病院裏の公園を目指し、小さな新緑でも見ようと思ったのですが、いざ行ってみると、そこは銀座らしからぬタイプの女性集団に埋め尽くされており・・・。
公園の隣の新橋演技場で、タッキーが座長を務める公演があったため、その入り待ちのファンの山だったんです。その異彩を放つ集団で一杯の公園内には、とても入れそうもなく、あきらめて劇場をぐるっと回っていたら、入り口の警備員さんに「こちらにお越しですか」と丁重に案内されそうになりました。車椅子にも関わらず観劇にきた熱心なファンだと思われたみたい。一緒にいた友人と妹と三人で、思わず笑いました。あのまま待っていたら、タッキーに握手ぐらいしてもらえたかもしれません。新緑散歩は、またこの次に。
病状はもう予断を許さないところまできたみたいですが、とにかくできるだけ新緑を見ることが、この春の目標です。
2009年4月16日木曜日
2009年4月11日土曜日
2009年4月8日水曜日
2009年4月6日月曜日
入院中Part7
もう、書き出せばキリがないくらい、体のあちこちが壊れていて、薬を使っても、うっすらとした痛みは慢性化しています。ベッドの上で快適な体勢を探りながら、寝ています。今日のお昼に、病院のレストランでラーメンにチャレンジしたところ、三口ぐらいしか食べることができませんでした。入院前より、明らかに食べられなくなっていて、ショックです。
しかし、それでもまだ、食べられるだけ、いいほうなのだと自分を励ましつつ、紀行本の写真を見ながら、まさに「夢は枯れ野をかけめぐ」りつつ、奇跡を夢見て、パジャマを戦闘服に、闘っています。
2009年4月5日日曜日
入院中Part6
しかしながら現実は、痛みのほうは、モルヒネの増量で、なんとか調整できてるものの、腹水が、また増えつつあり、もうどうしようもないです。ラシックスとアルダクトンで押さえることには、限界がきてしまったのだろうか。根本原因が、ガンのため、医者にもどうすることもできず。そう頻繁に針を刺して抜くわけにもいかないし。妊婦のように破水でもしたい気分です。何かいい方法はないんだろうか?
入院、七日目。急な入院にも関わらず、お見舞いにも、沢山きていただき、ありがとうございます。
2009年4月3日金曜日
2009年4月2日木曜日
入院中Part4
学生時代も、社会人になってからも、私にとって、一番身近な桜は、外堀公園や千鳥が淵の桜だった。春の宵。学生時代の新歓コンパ。ビールや笑顔や、ばか騒ぎ。静かにそぞろ歩いたデートの日。4月の人事異動や組織変更に辟易しながらも、桜を見上げてはげまされた日々。武道館のコンサート帰り、興奮と共に見た桜。
去年の今ごろ、携帯の写メで撮った、千鳥が淵の桜の写真を保存してある。あの頃、あと20年ぐらいは、この桜を見るだろうと思っていたのに。
屋台の灯りと、道行く人達の笑顔と共に、どこまでも熱に浮かされたように、桜並木を歩いていた晩。
胸の痛みも、お腹の痛みもすべて忘れて、もう一度、あの桜並木を歩けたなら。
入院中Part3
先生からは、改めて、もう提案できる治療法はない、との説明を受けました。まだ名前もついていない新薬の抗がん剤の治験があるにはあるけれど、今の私の体力では無理だろうとのこと。がんセンターでも、その薬が飲めるまで辿り着いた患者さんは、1人だけだそうです。副作用など、すべて未知数の薬だそうで、確かに私には無理かも。
今後、がんセンターとは、不定期に外来で相談程度はさせてもらいつつ、他所でいわゆる代替治療をやる予定。思い切って先生に代替治療について尋ねたところ、実は大変に情報通で、私の知らないクリニックのことなどもさりげなく教えてくれました。びっくりです。もしかして、代替治療に一番詳しいのは、がんセンターの先生じゃないの(笑)?沢山の患者から話を聞いてるわけだし。例のウクラインのことも知っていて、使用している患者も何人か知ってるようでした。高額な治療費には眉をひそめてましたが、否定はしてませんでした。
2009年4月1日水曜日
2009年3月30日月曜日
2009年3月29日日曜日
現状
朝:紅茶、ヨーグルト、オレンジ、パン1/2個
昼:おにぎり1個、りんご1/2個
おやつ:おまんじゅう1個
夜:海苔巻き2個(短く切ったやつ)、味噌汁少々、にんじんジュース、切干大根、お茶
サプリメント:プロポリス、ローヤルゼリー、ビタミン剤
いろいろと誤解を解いておきたいので、書いてみました。
同病の方には、励ますような情報ではないので、ごめんなさい。
先日、ホスピスの外来を受診してきました。とうとうここまで来てしまったか、というかんじです。全身状態が悪いので、すぐ入院しても構わないそうですが、ホスピスに入ったら治療不可なので、まだそれは避けたいなぁ、と。
2009年3月26日木曜日
落ち込む・・・。
昨日、病院の外来だったので、とりあえずレントゲンを撮ってもらう。幸い、特に腸閉塞などの症状はなく、お腹が苦しい最大の原因は、ガスと便がたまっているからだろう、とのこと。内臓の機能全般が低下しているようだ。まずは、下剤です・・・。相変わらず、血液検査や尿検査の数値は、CRP以外、ほぼ正常。
ただあくまで、自分の直感によれば、どうもTS1との相性が悪く、正常だった臓器の動きが破壊されてしまったような気がする。おまけに最近は、お腹より胸の痛みのほうが強い。いろいろ覚悟はしているつもりだったが、こうやって現実に次々と新しい苦痛に襲われるようになってくると、自分がどこまで持ちこたえられるか、不安になってきた。
こんなに早く参ってたまるか、という思いは強いが、どうにも抗ガン剤が効かないタイプで、たとえ1ヶ月でも腫瘍の増殖をストップさせることができない。来週のCTの結果、今後の方針を決めることになっているが、標準治療にはもう病気と戦う武器がない。今まで、代替治療を含めて、様々に模索してきたけれど、いまひとつ本当に信じられるものはなかった。この状態の私を引き受けてくれる、新たな病院と医師、治療方法をどうするのか。方向転換は、心身ともにかなりハードな作業だが、決断を肩代わりしてくれる人はいない(;;)。まだ、無治療にする、という段階ではないだろうと思う。前向きな気持ちだけは、まだ棄てたくない。
しかしながら、ホテル滞在計画は、今の体調では不安が強く、友人達にも迷惑をかけるだけになってしまいそうなので、予約するに至らず。もう少し様子を見ます。
田口ランディの「キュア」という本を読みました。肝臓ガンになった外科医が、どうガンと向き合っていくか、というお話。オカルティックな部分も多く(宗教や超能力にすがる様々な患者も登場)、感動的な闘病記というよりは、作者が現在の日本の癌治療を取り囲むすべてを書きたかったのだろう、という本です。冷徹な死生観や、病院側から見た癌患者(このあたり、頑張って取材した様子)の描き方など、日本の癌治療の影の部分にもスポットをあてていて、なかなか興味深かったです。話題になった「おくりびと」ではないけれど、末期がん患者に対して医者もまた、相手への尊厳の念を持って接して欲しい、と思う。ちなみにキュア=治療という意味だそうです。
長文を書いていたら、胸の痛みが強くなってきました。この辺で。
2009年3月23日月曜日
復旧しました。
さて、副作用の胃痛が酷かったので、病院に電話したら、ちょっと休薬して、様子を見ることになりました。3日間休んだら、胃痛がおさまって食欲もでてきて、少し体調が落ち着いた気もします。副作用って、やっぱり怖いもんです・・・。ただ、TS1を飲んだいる間に、胸の痛みが軽減していたので、内心効いているかも、と思っていた矢先だったし、薬を飲まないでいるのも、心配。この先、量を減らしつつ飲んでいくことになるのか、まだわからないところです。TS1の効き目があるようだったら、無理のない程度に服用しつつ、副作用のない、漢方薬か丸山ワクチンなどを併用してみたいし、ハイパーサーミア療法もスタートしたいし。そろそろ治験をリタイアする潮時なのかもしれません。
ところで連休中に、目白のフォーシーズンホテルに、友人達と1泊してきました。これは、長期ホテルステイ計画とは別です。部屋で宴会をしつつ、ホテルのゴージャスな雰囲気も満喫し、大満足でした。でも、しかし、高いですねぇ。部屋代はともかく、ルームサービスのメニューを見ていたら、“おにぎり”が3個で¥2,200。どんだけすごいおにぎりなんでしょうか。とはいえ、アラフォーのOLで集まって、気分だけは「SEX AND THE CITY」の登場人物になって浸ってきました。
フォーシーズンは椿山荘とつながっているので、連休中は、結婚式ラッシュも拝見。出席者のファッションチェックも楽しかったです。最近ブームのせいか、若い人の着物も増えてますねぇ。片や結婚する人がおり、片や死にかけの人間がおり・・・。ホテルにはドラマがあります(笑)。
もう、体力もないので、健康な友人と同じように話したり動いたりすることはできませんが、4箇所に転移しているガン患者でも、まだなんとか歩くことはできます。もう、先のことを思い煩っても誰にもわからないのだし、本当に1日1日を味わって生きていくしかないです。病気になったのは、私がそういうことに気づく必要があったから・・・、だったのかもと時々思います。
2009年3月19日木曜日
2009年3月16日月曜日
そういえば、腹水
食欲は、あるにはあるのだけれど、どうにも量が食べられないし、日によっては、まったく食欲のわかない日もある。今のところ、1日1食ぐらいなら、普通の量が食べられる、といったところ。とにかく“食べる”ことが優先なので、野菜でも肉でも果物でも炭水化物でも、できるだけバランス良く食べるようにしている。でも食べ過ぎると、てきめんに腹痛になる。
計っていないので正確じゃないけれど、1日1200kcalは、たぶん取れていない。それでも、なんとかここ2ヶ月は、体重をキープできているのが、わずかな安心材料。身長は161cmなんだけど、40kg台になると、体力が落ちてヘロヘロになってしまうのが過去の経験からわかっている。この身長で体重40kg台の人は沢山いるでしょうけど、私の場合、年齢のせいもあって無理ですね(笑)。50kg台を割り込まないようにするのが、現在の目標。ただ痩せて足が細くなったせいか、キツキツだったブーツが楽に履けるようになったのだけは、嬉しい。ひとつぐらい、いいことがなくちゃ。
TS1のほうは、飲み始めて11日経過。吐き気や倦怠感などの副作用はまだないけれど、色素沈着が進んでいて、腕や手が黒ずんできました。日に焼けたかんじの黒さではなく、不健康な黒ずみなので、非常に嫌なかんじ。でも副作用が出てきた、ということは、そろそろガンにも効いているかどうか、効果のほどがわかってくるんじゃないでしょうか?素人考えながら・・・。早くCTを取って欲しいけれど、1ヶ月に1回なので、まだ2週間もある。こういうのって、なんとかならないのだろうか。
膵臓がんに関して経験豊富で優秀な医師がいて、治療法の融通が利いて、家から近くて、最新鋭の機材と施設で、ホスピスがあって、最善の治療を受けている、という安心感が持てて・・・。そんな理想の病院があれば、私ももっと心安らかに闘病生活を続けられるし、それでダメならしょうがない、と覚悟も決められるるでしょう・・・。誰もが、そう思ってるでしょうけど。日本にもいつかそんな素晴しい医療環境が整う日がくるんだろうか。私に、体力と時間さえあれば、すべての治療を試してみるのに。
膵臓がん患者を見ている医師たちは、自分が膵臓がんになったら、どこの病院で、どういう治療を受けるつもりなんだろう? 自宅で病院を経営していたら、腫瘍マーカーも取り放題、抗ガン剤も打ち放題、不安ならすぐCTを取り、丸山ワクチンを試し、漢方薬も、温熱療法も、免疫療法もすべて試してみるんだろうか・・・。それとも、何もせず、諦めるのか?
2009年3月15日日曜日
青空
職場のみんなから、お見舞いの花かごと、励ましのメッセージが寄せられた色紙を贈ってもらいました。治ったら還る職場があるのは幸せです。半人前ですが、映像プロデューサーの仕事をしていました。企画打ち合わせや脚本会議をし、BGMについてあれこれ相談し、レコーディングをし、キャストのオーディションをし、宣伝プランを立て、ロケハンをし、アフレコをし、徹夜でスタジオでの編集作業に立会い・・・。スタッフみんなで飲みに行ったり、視聴者の反応に一喜一憂したり。時に、監督や脚本家とぶつかることがあっても、悔しくて布団をかぶって泣いていたことがあっても、作品を作り上げていくのは、やりがいのある仕事でした。今したいことは何かと聞かれたら、本当は旅行に行くことではなく、やはり、もう一度仕事をすることです。健康だったころの記憶と直結してるだけかもしれませんが。
今日のような青空なら、そんな私の願いもかなえてくれそうな気がして、じっと見つめて祈りました。
諦めるのは、まだ辞めたいです・・・。
2009年3月12日木曜日
春
その後、どうも体調は宜しくないです。お腹だけでなく、頻繁に胸も痛くなるのでデュロテップパッチを倍にしました。副作用の少ない薬とはいえ、やはり足元のふらつきや、食欲不振が起こります。先生の弁によれば、私はこれでも「持っているほう」だそうです。昨年の11月に、私と同程度の進行状況だった方の中には、もう既に亡くなった方もいるとか・・・。いまだに、電車に乗って病院まで通っていられることが、幸せだと。ある意味、病院へ行くこともリハビリのつもりで、意地で通っていたのだけれど、それもいつまで持つか自信がなくなってきました。お腹や背中をかばう必要があるので、長時間姿勢を保つことが困難です。某ドラマ後半の中井貴一が演じた主人公のような状態になってきました。
友人たちのせっかくのお誘いにも、途中で倒れたらどうしようか、と心配している自分が悲しい。海外旅行も厳しそうです。せめて都心のど真ん中のホテルにでも住んで、いつでも友人知人に来てもらえて、食事は、ホテル内のレストランか、ルームサービスで、なんて暮らしをしてみたい・・・。と思い立ったので、実行することにしました。体が動くうちに、できるだけのことをしておきたく。といっても、お財布の問題もあるので、3月下旬に1週間強ぐらいの予定です。
お財布といえば、先日確定申告をしました。この半年弱で医療費に178万使っていました。タクシーの領収書は棄ててしまっていたし、電車代も面倒なので申告はせず。戻ってくる税金は、わずかです。年収がばれてしまうので、金額はナイショです。
2009年3月9日月曜日
また体調悪化
朝、病院に電話して容態を説明したがやはり「副作用ではなく、腫瘍自体の発熱」とのこと。痛み止めで痛みを抑えているけれど、炎症反応は上がっているので熱が出るらしい。でも、というということは、ガンがより悪化しているのでは・・・。TS1を飲み始めてまだ1週間もたっていないし、後ろ向きなことばかり考えないようにしたいのだけれど、体の変調が、病気の一番のサインだと思う。最近は背中が痛くて、30分以上、起きているのが苦痛になってきた。痛みも強くなっていて、薬を飲む間隔も縮まっている。1ヶ月も様子を見ている余裕はないのかもしれない。TS1より、まだジェムザールのほうが効いていたのではないだろうか。
それにしても、私のガンは、どうも抗ガン剤の効き目が悪いようだ。となると、これから更に他の抗ガン剤を試したところで、果たして効果があるのだろうか。本当に頑固なガンだ。プロポリスとローヤルゼリーとビタミン剤とにんじんジュースを飲んで、ガンと戦っているつもりでいたけれど、なんだか、槍を持って風車に向かう、ドン・キホーテな気分になってきました。とにかく、気持ちだけでも前向きに保たないと。
今後体調が悪化した場合、一番不安なのは、やはり病院までの足だ。電車に乗れなくなったら、基本的にはタクシーしかない。自分で1時間以上運転するのは危険を感じるし・・・。とはいえ近所には、特殊な治療をしてくれる病院はないので、それは治療をあきらめたときの最後の選択としたいし。治療費よりもタクシー代のほうが高くなってしまうのは、流石に痛いなぁ。ただ、世間には、もっと遠くの病院まで通っている患者さんもいるわけで、私はまだ恵まれているほうなのかもしれない。しかし、病院までの送迎だけなら、赤の他人でもいいわけで、タクシーより安く利用できるサービスはないものだろうか。
2009年3月7日土曜日
退院
入院中、病室は四人部屋で、全員すい臓がん患者。そのうちのお一人は、手術不能だったにも関わらず、抗がん剤治療のみで、もう3年たつとのこと。抗がん剤、効く人には本当に効くんですね。
途中一回、病院を抜け出して、久しぶりに会社に挨拶に行ってきました。自分のデスクに座って、パソコンや書類の山を見ながら、こんな会社でも(笑)、やはりもう一度働きたいなぁ、と実感。健康だったころの自分に戻った気がして、少し気分をリフレッシュできました。
TS1の副作用は、今のところ特にないけれど、これからじわじわきそうです。それよりも最近は、毎晩熱が出ることが心配。朝はいつも37.4度くらいの微熱。腫瘍が熱を持ってるらしい。ただ、手足のしびれが無くなったので、これはジェムザールの副作用だったのかと、自分では判断しています。脳転移だったら、もっとしびれが持続しているでしょうし。病室では、私が一番年下でしたが、症状が一番進行してるのは私でした。他の方は、熱もなく、モルヒネを使用している人もなく。私って、もしやかなりの末期・・・。
ところで入院中に誕生日を迎え、なんとかひとつ歳を取ることができました。今年の桜は、たぶん見ることができるでしょう。病状は深刻だけれど、なんとかガンを抑え込んで、来年も誕生日と桜を迎えられますように。
病室の窓から見えるオーシャンビューは相変わらず素敵でした。
2009年3月2日月曜日
2009年3月1日日曜日
今日から3月。
何しろ、昨年12月末には、あるかないかわからないぐらいだった肺転移が、先週の時点で肺がんだけでもステージ4まで成長していたのだ! 肺の画像には、白い点が大量にあって見るのも嫌になった。膵臓がんの進行が早いって、こういうことですか。どうせ膵臓ガンはステージ4だし、今更肺が増えても、どうってことないさ、次の抗ガン剤さえ効けば消えるんだから、と開き直ってみたが、もう時間の余裕がないことは、明白だ。私は、ガンになっても性懲りもなく、たま~に煙草を吸っていたのだけれど、医者によると、肺転移は血流の流れで起きたもので、煙草とはまったく関係がないとのこと。「煙草、吸ってもいいですよ」とまで言われた。もう、どうせ治らないからってことですかね~。
ところでオキサリプラチンの自覚副作用について調べてみると、かなり強い。ジェムザールやTS1の比ではない。末梢神経が麻痺するそうで、症状が強く出る人は、冷たいものを飲むと口の中が針で刺されたように感じる、まったくの食欲不振、下痢、嘔吐、手足・口のしびれ、など。とにかく副作用について書いてある項目の数が違う!それでも、他の癌では、オキサリプラチンとTS1(もしくは同じ系統の薬)の併用治療は広く行われていて、私が人体実験、というほどの危険な治験ではないのだけれど、恐怖なことに変わりはない。
TS1だけの治療なら、もう少し副作用も低く、QOLもあがるかもしれない。旅行やコンサートに行く気力や体力も温存できるかもしれない。副作用で寝ているだけの日々なら、私だって抗ガン剤を辞める気になるだろう。考えてみれば、発病以来、賭けと決断の連続だった。病気になる前は、治療とは医者が考えてしてくれるものだ、と思っていたのに、膵臓がんの治療では、何を選択するのか、いつも自分で決めさせられる。正直、泣きたくなることが多い今日この頃です。落ち込んでいても仕方ないし、前向きに次の治療と向き合うしか手はない、と頭ではわかっていても、感情がついていかない。
2009年2月26日木曜日
手探り
それにしてもガンだけなら、まだこれだけ動けるんだ・・・。具合の悪さの90%以上は、副作用だった。とはいえ、抗ガン剤のおかげで、腫瘍を抑えている部分もあるのだし、どうしようもないですね。こういう梅雨の晴れ間のときを、有意義に過ごすようにして、1日1日を大切にするしかないです。もう少し暖かくなってきたら、できるだけ外出も増やしたい・・・。
それにしても、次の一手をどうしようか。やはりTS-1だけでは心元ないので、別の抗ガン剤の併用も試したいと、気持ちが変化してきました。第2ラウンドに突入です。問題は、それをどこの病院で受けるか・・・。体が持つまで抗ガン剤を試すのか、QOLを重視して抗ガン剤を拒否するのか、人それぞれに重い選択です。ガンは、その治療方法の選択にも、人間性が問われてしまう。その人を取り巻く環境にも、今までの行き方が反映されて、選択肢が違ってくる。人事を尽くして天命を待つ、という格言を久しぶりに思い出しました。
正岡子規の「病床六尺」というエッセイの中の、病状末期に、以下の言葉があります。
「悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思って居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きている事であった」
この言葉を噛み締めつつ・・・。
2009年2月24日火曜日
新しい治験
<ゲムシタビン耐性膵癌患者に対する、TS-1療法とTS-1+オキサリプラチン(L-OHP)併用療法の無作為化比較試験>
文字通り、①TS-1単体か、②オキサリプラチンとの併用か、のどちらか(治験なので自分で選べません)。②の組み合わせは、大腸がんの患者さんに対してはすでに治験として実施済み。もらったパンフレットには色々と詳細が書かれていたが、とても書ききれないので、詳しいことを知りたい方は、がんセンター中央病院の治験事務局に問い合わせてみてください。
オキサリプラチンは、膵臓がんには保険適用されていないけれど、全額自己負担なら、使用してくれる病院もある。ただし、金額を調べてみたら、100mg=約7万円(100mg:大体1回の投与量)。治験ならこれが無料で、さらにTS-1&血液検査&CT検査の費用が無料、1日の交通費7千円も付いてくる!
とはいえ抗ガン剤をダブルで使用すれば、ダブルの効果も期待できる代わりに、当然ダブルの副作用も出る。そして②もまた、治癒するわけではなく、延命の可能性の追求、といった段階。ジェムザール+TS-1の治験にも尻込みし、ジェムザール単体の副作用でも辛い、と感じていた私は、ダブル使用にちょっと後ろ向きですが、返事は保留して帰ってきました。ただいま検討中。とはいえもちろん、可能性があるから治験を実施するわけで、参加したい患者さんもいっぱいいるでしょう・・・。ジェムザールとオキサリプラチンの併用治療の治験は、数年前に海外で行われていたようだが(http://www.gsic.jp/cancer/cc_12/trt/02.html)今、日本では標準的に行われていないのは、めざましい結果がなかったから? それとも保険が効かないから? 素人の私がいくら考えてもわからない。命のかかった大きな賭けなのに、検討するために参考にする情報すら少なく、結局は自分の直感に従って決めるしかなさそうです。
それにしても、本当にどうやったら、膵臓癌は小さくなってくれるんだ(;;)。私はすでに普通の生活を送れない状態だけれど、たとえ延命策でしかなかったとしても、半年~1年ぐらい、癌を抑えてくれるクスリがあれば、やはりありがたいと思う。その間、痛みもなく海外旅行できれば、更にラッキー。3ヶ月で世界一周とかね。とにかく、もう一度生活を見直して、少しでも免疫力をUPさせるように努力してみよう。
病院からの帰路、銀座の三越から有楽町の駅まで、歩いた。会社帰りのサラリーマンやOL、きらびやかなショーウィンドー、レストランやバーのネオン。囲まれて歩きながら、自分も半年前には、こうやって銀ブラしたり、友人と待ち合わせて飲みに行っていたのに、と思うと少しだけ涙が出た。やっぱり生きていたい。
そして立ち寄った本屋で、「さよなら絶望先生」第16巻のコミックスを買う。ずっと買い続けていたコミックスだったのだが、昨日、気づいた。主人公のビジュアルが、その髪型といい、メガネといい、私の担当医にそっくりだ! キャラクターや設定(絶望先生は高校教師で、本名は糸色望。ギャグ漫画)はまったく違うのだが、よりよって「絶望先生」・・・。なんだか縁起が悪い(笑)。
2009年2月22日日曜日
気の持ちよう。
友人の薦めで、この歳になって、初めて落語を読んでみた。志ん生の「滑稽本」。面白い! こんなに面白いものだったとは。CDも聞いてみよう。笑いは病気にもいいということだし。新しく趣味にできそうなものを見つけて、ちょっとラッキー。
本日、久しぶりに外出もして、いろいろ発見する。コンビニの酒コーナーで、キリンビールの新しいパッケージ(昭和ラガー、とか)を見つけた。私が知らなかっただけだろうが、いつの間にこんなものが。また、近所のゴルフの打ちっぱなし場が、取り壊されていた。ホームセンターになるらしい。見舞いにきてくれた友人から“ミネラルファンデーション”“電動マスカラ”など最近話題の化粧品情報など聞く。こういう他愛のない話を、見たり聞いたりするのが、今は楽しい。女性の(私の?)一番のストレス解消法は、やはりおしゃべりすることのようです。外出も少ないので、新しい洋服も買わないでいたけれど、春のワンピースの1着ぐらい買おう。
2009年2月20日金曜日
副作用
寝っぱなしは良くない、と自分を奮い起こして、ヨロヨロと部屋の掃除をしていたら、期限切れのパスポートを発見した。海外旅行云々、などとブログに書いていたくせに、パスポートの期限が切れていた。今日午後、リハビリがてら駅前のパスポートセンターまで出かけてみよう。
ところで今日、地元では、この冬始めての雪が降ったけれど、すぐ雨に変わってしまった。この冬は、ちゃんとした雪景色を見ないまま、終わりそうです。
2009年2月17日火曜日
今のところ
まずは、前回ようやく調べてもらった、2月の腫瘍マーカーの結果。
CEA 1.1(健常値:5.0ng/m以下)
CA19-9 55(健常値:37U/ml以下)
二つとも、昨年12月の数値と比べて、ほぼ横ばい。CEAには、もともと一度も反応したことがなく、CA19-9の数字もガン患者にしては低いほうらしいが、特に減っている、というわけでもない。抑えられている、という見方はできるだろうけれど、無治療だったとしても、この数字かもしれず・・・。腫瘍マーカーの数値ををあてにしてない、というだけあって、先生のコメントはなし。減ろうが増えようが、一喜一憂しないことにしているそうです。でも、私は判断基準にさせてもらいます。自分の本当の主治医は自分だ、と開き直りました。しかし今回、それよりも不気味に感じたのが、血液検査のCRP(炎症値)と白血球のUP。
CRP/08年12月:0.5、09年2月:1.4(健常値:~0.1mg/dl以下)
白血球/なぜか今回:8.1(健常値:3.9~6.3×1000/u1)
炎症値が、じわじわと確実にUPしているのは、腫瘍による体内のダメージが拡大しているのだろうと推測するし、そのダメージと戦うために、抗ガン剤投与をしているにも関わらず、白血球が増えている可能性もある。私のこの見方について、先生の返事は「う~ん。そうかもしれませんね」といったところ。おそらく同意見なのだろうが、憶測で悪いことを言いたくない様子。とにかく、来週のCTの結果を見て判断する、とのこと。痛みは増大しているし、あまり良い結果が出るとも期待できなくて、正直今から怖い。結局、私はあまりジェムザールが効かないタイプなのかもしれない・・・。とりあえず今回、先生に頼んで、投与量を8割の1300mlまで減らしてもらった。来週は、もっと減らしてもらおうかと思っている。効いてないのに、毒だけ入れてもね・・・。とういうか効いてなかったらTS-1に変更になるのか。
ところで、先生との問診に、看護士さんに同席してもらうようにしたところ、別人のように先生の態度が違う。終始にこやかで、受け答えも丁寧になり、先方から雑談も飛び出す。PCの画面より、私の顔を見るようになった。やればできるんなら、最初からそうして欲しかったですね。いかに私がなめられていたか、ってことでしょうか。その中で出た話について。
<がんセンターの独立行政法人化について>
あくまで、世間話の範囲です。信憑性については保障しません。2010年4月よりスタート。病院が、より利益を出す体質へ変換することや、入院日数の短縮が求められるだろう。また、今までのように病院の持ち出しでやっていた治験も減る可能性が高い。職員のリストラも予想される。大体、週刊誌に書いてあることと同じ。
<ペプチドワクチンのその後>
がんセンターで、ペプチドワクチンをやっている患者さんの様子を尋ねた。肝臓ガンでは、奏効性が認められたが、膵臓がんでは、結果が出せたとは言えないレベル。またワクチン注射の辛さに耐えかねて、二人の患者さんが途中リタイアした、とのこと。ワクチンは、2週間ごとに4本(両腕&両足)の注射をしなければならず、それ以外にジェムザールの点滴と、採血の注射があるわけだから、注射嫌いの私の場合も耐えられない気がする。
<オキサリプラチン>
がんセンターでも、膵臓がんにオキサリプラチンの使用は可能らしい。
ところで、ここ最近、ブログにいくつかコメントの書き込みをいただき、ありがとうございます。最近、闘病にも息切れして弱気になってきていたので、大変励まされました。私は、病人歴がまだ短く初心者なので、より長期戦で病気と戦っている先輩からの意見は大変参考になるし、心の支えにもなります。今後とも宜しくお願いします。私もこの辺で、長期戦になるつもりの心構えにシフトしたいと思います。
2009年2月14日土曜日
暑い一日
最近は、1日寝ていたら翌日出かける、というような1日おきの生活です。残り少ない人生を、寝て遊んでばかりでいいのか、と思いつつも、なかなか有効な時間の使い道も思いつかず・・・。思い切って長期の旅行をしたいけれど、自分で自分の来週の体調がわからないので、ジレンマが続いている。
私は、もともと旅行好きで、仕事の出張も含めれば、国内&海外とちょこちょこ出かけていました。イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ギリシャ、オーストリア、スイス、アメリカ(西海岸&ハワイ)、ベトナム、台湾、インドネシア、タイ、香港etc。2回3回と訪れた国もあるが、もちろん、まだまだ行きたい場所は沢山あって、インド、中近東、南アメリカ、アフリカなど数え上げればキリがない。ニューヨークも行ったことがないし、四国にも行ったことがない。もし平均寿命まで生きたとしても、行きたい場所全部に行くことはないだろうし、どれだけ旅行したかなんて、程度の問題だけれど、あと1回しか行けないとしたら、どこにがいいだろう。抗ガン剤治療をしている以上、最長でも10日間ぐらいの旅行しかできないし、医療レベルが低い国、遠い国(フライトが片道10時間以上)、英語が通じない国、などは現実的にダメでしょう。
2年前、カンヌに出張したときのことは、まだ鮮明に覚えている。MIPという国際映像見本市に、企業ブースを出展したときのスタッフだった。会場が、あの国際映画祭と同じ場所だったので「ここにレッドカーペットが敷かれ、あの有名俳優達が・・・」など、おのぼりさん気分で会場を眺めながら仕事をし、豪華なクルーザーが並ぶ海を眺め(眺めただけ)、夜は、迷路のような旧市街の石畳を歩きながら、スタッフ仲間と美味しい店の食べ歩きをしていた。あのころ、2年後に自分が癌を発病するとは、夢にも思っていなかった。人生って、先のことは本当にわからないもんですね・・・。
旅行に行けない代わり、でもないけれど友人に付き合ってもらいつつ、映画を2本観る。「マンマ・ミーア」と「少年メリケンサック」。どちらもアタリでした。「マンマ・ミーア」はサントラも買ってしまった。映画を見たついでに、CDショップを覗いたら、入り口前の平台に「マンマ・ミーア」とABBAのCDが並べられ、車に乗ってラジオをつけたらABBAが流れていた。こんなに流行っていたとは、半引きこもり生活なので、気づかなかった。「マンマ・ミーア」は、ギリシャの島が舞台だったので、リゾート気分にも浸れる。DVDが出たら、買っちゃうだろうな。
2009年2月11日水曜日
病院のこと
1)まずは、ジェムザールとTS-1による標準治療。毎回、腫瘍マーカーを計り、ジェムザールの投与量 は、細かくコントロールする。CTは月1回撮影。ジェムザールは3週1休ではなく、10日ごとに月3回投与するという。
2)標準治療が効かなかった場合、膵臓がんには保険適用不可だが、他の部位の癌治療には適用されている、以下の抗ガン剤を、患者の全額自己負担で使用できる。
→ゼローダ、エスプラチン、オキサリプラチン、イリノテカン、ナベルビル、タルセバなど。望めば何でもOKのようだ。
3)山手線の大塚駅近くにもクリニックがあり、そこでの受診も可能。先生は週2回、そこで患者を診ている。ここのクリニックでは、以下の癌の代替療法も行っている。
→ハイパーサーミア療法、ビタミン点滴、針治療など。
普通の病院では受けられない様ながん治療を、ひとつの病院で受診できるところに魅力を感じた。保険適用以外の治療を受けるかどうかの判断は、自己責任によるものだし、高額なので懐具合との相談にもなるが、私としては、転院orがんセンターとの並行受診も含めて検討したいと思う。
どこの病院へ行っても「治りません」という答えは同じで、使用できる抗ガン剤の種類が増えたところで、体に負担が増えるだけの延命治療だが、選択肢を広げられるという可能性は、私にとって精神的な安心感につながった。最終的に、標準治療以外やらなかったとしても、この病院の存在を知って良かったと思う。
また、私の発病は、実質的には昨年6月で、ジェムザールを始める12月までの半年間、無治療だったのに、
現在この状態でいられるとは「膵臓がんにしては、進行の遅い種類なのかも」と、ちょっとい嬉しいことを言われた。
ガンを告知されて以来4ヵ月半、いろいろな病院や治療法を探して悲喜劇を繰り返してきたが、なんだかこれで一段落したかんじだ。もちろん、ネットや新聞の情報はウォッチし続けるが、これからはもう、治療以外の時間を、どう有効に使うかということに軸足を置いた生活をしていこう。
2009年2月10日火曜日
微熱
昨日、以前の職場の先輩の早期退職のための送別会があり、四谷まで行った。電車で往復できるのか不安だったので、こんなときは、気軽にタクシーを使える距離に住んでいないことが呪わしい。四谷近辺は、以前はアフレコや仕事の打ち合わせで、よく通った場所だ。その時々に、一緒に仕事をした人たちの顔を思い出しつつ、四谷の交差点に立ちながら、またここに来れることがあるだろうか、とふと思う。
退職された先輩は元気そうで「しばらくのんびりしたい」と話していた。他にも、久しぶりの顔ぶれに会えて嬉しかったけれど、驚いたのは、私より10歳年下の後輩女性の一人が、松葉杖をついていたこと。昨年12月に、骨肉腫の手術をしたとのことだった。手術は成功して、もう職場復帰していたが、若くても癌になるんだ、ということを身近にいた彼女の例を見て、改めて実感してしまった。戦ってるのは自分一人ではないのだから、粛々と頑張ろうと思う。
それにしても、刺激を受けることや人に会うことが、体調に与える変化の大きさに驚く。パーティの最中は、痛みを感じなかったし、むしろ出かける前より元気になった。この方法は、今後も使えるテクニックだと思った。やはり映画も見に行こう。
それにしても、現在の自分の客観的な状態がわからない。次にCTを撮るのは2月23日の予定。いったい、私の体の中は、今どうなっているんだろう。
2009年2月6日金曜日
2009年2月5日木曜日
ダウン
ところで、考えてみると、私の発病時期って正確にはいつなのだろう? というのも、ガンを告知されたのは昨年9月末だが、腹痛で受診し、膵炎と誤診されたのは、その3ヶ月前の6月末。誤診されなければ、7月には、膵臓がんだと判明していたことだろう。仮に7月をスタートだとすると、私は発病して8ヶ月目になる。生存期間は平均値がすべてではない、とはいえ、この状況で私は暢気に構えすぎではないだろうか? 正直、病気のことを考えるのも疲れてしまって現実逃避している部分もあるのだが、もう少し危機感を持とう。
米原万里さんの「打ちのめされるようなすごい本」という本を買った。彼女の癌の闘病記部分を読むためだ。代替医療体験記は、かなり興味深かった。免疫療法、温熱療法、針治療、食事療法などなど、目についたものは片っ端から試している。結論をいえば、すべて効かなかったのだが、米原さんのような才女でさえ、いざ癌になれば藁をもすがるのだ。ましてや自分は、と引き比べて、変な慰めを得る。
ところで最近、いろいろ面倒な手続きや書類を書くことを、とても負担に感じるようになってきた。これも気力の低下だろうか。。
・入院保険やがん保険:書類の取り寄せ→病院への申請→受け取り→発送。
・傷病手当金請求書:病院への申請→受け取り→発送。
・介護保険の契約:ケアマネとの契約、レンタルグッズの契約など。
・高額医療の払い戻しの請求:領収証を集めて計算して、市役所へ出向く。
・更に、ホスピスの病院探しと予約&下見。(当然ながら、とても嫌)
・ついでに遺言書も、ぼちぼちと書く。
今はまだ、自分で処理できるからいいけれど、悪化して自分でできなくなったときを思うと気が重い。高齢で高等教育を受けていないウチの両親では対処できないから、別に所帯を持って生活している妹に連絡して頼むしかないのだが、それもまた資料を揃えて一から説明しなければならない。私は、4つの保険会社に入っていたため、自分でもよくわからなくなっているくらいなのに(笑)。世間には、自分では対応できない老人もいっぱいいるだろう。こういう事務処理を代行してくれる機関って、調べればあるのだろうか?
2009年2月4日水曜日
これが限界か
そして今日、とうとう私のがんセンターに対する見解が出ました。がんセンターは、標準治療で治る患者以外、診る気はありません。それは担当医のせいでもなく、病院のスタンスです。ホスピスはないし、物理的にも最後までケアできるキャパがある施設ではない。ということを明確にして、患者にも世間にも公表するべきだと思う。そうしないから混乱をまねくし、勘違いして受診する患者が後をたたないのだ。TVで、がんセンターが、あたかも最後まで患者をケアする病院のような番組を報道しているのも、ますます誤解を招く。私はまだ、標準治療ができる段階なので、放り出されてはいないけど、時間の問題でしょう。次の手を考えなくては。
今日の外来には、看護士さんに同席してもらった。1月の私の腫瘍マーカーは計られてもいなかった。「腫瘍マーカーを重視していないから」と先生は言うけど、抗ガン剤治療が効いてるかどうかをみるのに、判断材料は腫瘍マーカーと画像診断しかないんだから、やってよ! 副作用の強い治療を受けるだけ受けて、効果がでてるかのチェックはしないなんて、一体どういうこと。忘れた、とかのレベルではなく、確信犯としてやらないのだ。ジェムザールが効いてても効いてなくても、先生は、どうでもいいってことです。「こりゃ、もうだめだ」という脱力感に襲われました。別に、ひとつの病院で一人の先生だけの判断にゆだねなきゃいけない決まりはないわけだから、他にも平行して診てもらえる病院を探そう。
2009年2月3日火曜日
旅行
それと、友人からの薦めで、町田のうめざわクリニックを予約した。ガンの最新療法で、最近注目されているクリニックらしい。まだまだ「座して死を待つ」ほど、達観できていないので、万が一の奇跡でも、どんな治療法があるのか望みをかけて、行ってみます。
相変わらず痛み止めは手放せないけれど、今ぐらいの状態なら、無理をしなければ、日常生活は支障なく過ごすことができる。せめて、この状態が長く続いてくれますように。明日は久しぶりに、がんセンターの外来通院です。
2009年1月30日金曜日
休薬期間を有効に。
しかし、この終わりのない抗ガン剤生活に、いつまで持ちこたえられるんでしょうねぇ。まだ2クールだけど、白血球や血小板の減少以外にも副作用は出てきていて、手が黒ずんできた(色素沈着)&脱毛が増えてきたのが気になる。禿げるってほどじゃないんだけど、薄くなってる、ってかんじ。ジェムザールは、もともと副作用の少ない抗ガン剤だけれど、やっぱり毒を体に入れているわけだから、あちこち不具合は出てくる。モルヒネのせいで眠気も強いし、1日のうち起きていられるのは、以前の3分の2ぐらい。健康な時ってどういう生活してたんだっけ?と思うくらい、すっかり病人生活になってしまった。食事は、以前の半分も食べられない。特に出し汁の臭いを受け付けなくなってしまい、味噌汁や肉じゃがなど、臭いをかいだだけで吐きそうになる。和食の味付けには、ほとんど醤油や出し汁が使われているので玄米菜食どころか、洋食派になってしまった。今朝はクラッカーとチーズとカフェオレとリンゴ。あとはビタミン剤。
ところで、今のところ、疾病休暇扱いで会社を休めているけれど、休職期間のリミットは1年半。この期間を過ぎたら、もはや戻れる仕事も収入もなく、闘病生活を続けなければならない。そうなれば細々とつながっていた社会との糸も切れて、心の拠り所みたいなものもなくなってしまうだろう。実家に身を寄せているとはいえ、生活費や治療費だって厳しい。今更、看病と生活のためにダンナを探すわけにもいかず、どうしたらいいのか、まったくわからない。
2009年1月29日木曜日
くじける・・・。
再発や転移のある患者に、病院は親身になってくれない。がんセンターのような高度医療を手がける医師は、治る患者には興味を持つけれど、治癒の可能性が低い患者には冷たい。やはり噂どおり、最後には患者を放り出す病院、なのか?病院の体制から言って、個々の医者には、この辺の対応で限界なのか?患者一人一人の痛みを受け止め、心と向かい合ってくれる技術を持つ医者は、どこに行けばいるんだろう。進行ガンを抱えながら、どうやってガンと戦い、折り合いをつけて生きていけばいいのか、その手助けをして欲しいだけなのに。こういう病状で、医師から冷たい言動を受けると、病気の悪化に拍車をかけられる気がする。ますます心がくじけてしまいそうになる。それじゃあ、ホスピスへ行けば、と言われるかもしれなiいけれど、行っても待っているのは看護士さんの手とモルヒネだけ、らしい。
週刊誌では、国立がんセンターが独立行政法人になることで、約550億の借金を背負わされ云々、という記事をみかける。日本の癌治療が満足な状況になるには、あとどれくらいかかるんだろう。政府は、2兆円を小額づつ国民にばらまくくらいなら、癌治療の研究費に使って欲しい。そっちのほうが、よっぽど国民の支持を得られると思うんだけど。なんだか日本の医療に対する文句ばかりの文章になってしまった。怒っているとガンが悪化するそうだし、このへんで辞めておこう。
2009年1月28日水曜日
気晴らし
ところで週刊誌で、女子医大の人工心臓手術の裁判記事を読んで、あの病院なら起こりそうな話だと、感じた。病院が混雑しすぎ、というのが一番の理由だろうけど、一人一人の患者より、病院や組織の都合が優先されているうえ、各部署の横の連携が取れていない。そのため、治療の流れにエアポケットのようなものが生じ、治療に必要なスピードが確保されていないし、事務処理ミスも起こりやすい。実際、私が入院しているときも、その恐怖はすごく感じた。
検査のある日に朝食を出されたことがあるし、同室の大腸ガンの患者さんは、やるはずだった検査が混雑のためできなかったのに、1日に下剤を2回も飲まされたうえ放置され、検査が延期になった連絡もこなかった。温厚な方だったけど、流石に激怒していた。また、隣のベッドの方は、担当医から明日退院、と言われていたのに、翌日の朝の回診で主治医が回ってきたときに「誰が退院を許可したんだ! まだ肺の検査が済んでいないじゃないか」と言われ、退院が1週間延期になっていた。しかも、6人部屋の真ん中で、朝から主治医が若い医師を不機嫌に怒鳴りつけている光景は、同室の患者全員の不安を煽った。連携ミスもはなはだしい。そのときには、医療ミスってこうやって起きるんだなぁ、と思ってぞっとした。
そして、手術になれば病院が訴えられないように、患者にリスクを押し付ける一方のインフォームド・コンセント。病院のリスク管理上、仕方ないんだろうけど、もうちょっと患者の立場にたった配慮を見せてくれたっていいじゃないか、と思った。すべての病院がこうじゃないかもしれないけれど、病院の内情なんて、一般人は殆ど知らないわけだし、いざ病気になったときに、うっかりダメ病院に入らないようにするのは、どうしたらいいのだろう。咽喉から手がでるほど、情報が欲しいと思う。
2009年1月25日日曜日
体調
ガンになってから、さまざまな免疫療法、代替治療について調べたけれど、続いているものは実はない。結局どれも気休めでしかないように感じた。ペプチドワクチンも樹状細胞も、女子医大とがんセンターの先生に「実は効かない。期待はずれ。」と否定され、安保理論継承先生の針治療(八王子クリニック)に行けば痛みが増し、プロポリスをがぶ飲みしても、漢方薬(銀座東京クリニック)を飲んでもガンは転移した。ビタミン点滴治療を検討してみたけど、抗がん剤の点滴に、更にプラスして点滴を受ける気力が、もはやない。私は血管が細いらしく、針を刺す場所が限られていて、痣みたいになっている上に、点滴中に血管痛がおこる。本当に注射は、もう1本でも減らしたいのだ。それでも果たして、温泉と岩盤浴が、温熱療法代わりになるだろうか。「イワシの頭も信心から」。信じてみたい。
抗ガン剤が効いている期間は、限られている。やがて、抗ガン剤に対してもガンが免疫を作ってしまい、ガンの増殖を抑えられなくなる。いつか手詰まりになってしまう日を恐れつつ、結局、今できることは、体をいたわりながら、毎日を丁寧に暮らすことだけなんだろうか。月末から「マンマ・ミーア」「20世紀少年 第2章」も公開される。映画も見にいきたい。「20世紀少年 第3章」は見れるだろうか。
病気のことだけを考えないように、しなくては。今日、県内に住む叔父が、お見舞いに来てくれた。叔父も昨年、大腸ガンを患い手術している。幸い再発もなく予後は良好だが、一時は死を意識した、とのこと。口数は少ない人だけれど、ただ私を励ますためだけに、高齢の叔父が、一人で家まで来てくれた。ありがたいと思う。
毎日、本を読みDVDを見る生活。すぐ読むものがなくなってしまうので、今日もアマゾンで5冊注文した。今は「空海」に関する本が読みたい、と思っているところ。物を整理したいと思っているのに、本は増えるばかり。
お見舞いにいただいた花は元気で、気がつけば今も部屋にはいい香りが漂っています。部屋が華やかになり、花には随分気持ちを慰めてもらっている。
2009年1月24日土曜日
2009年1月23日金曜日
闘病記
他の人の闘病記を読むことから、実はしばらく遠ざかっていた。理由は読むと落ち込むから。自分の今後の経過をそこに見るのは恐怖以外の何ものでもないし。とはいえ、ネット時代だからこそ得られる情報であり、落ち込む一方で、同じ病気で戦った人の記録ほど、私を勇気付けてくれるものはないこともわかっている。そこに書いてあることや、敢えて書いていないことから、その方が何を考え、何を耐えて、生き抜いたかを想像するとせつなくなる。
ところでブログを読んでいると、どうも私より日常生活のレベルが高くギリギリまで社会生活を続けている人が多い。羨ましい。同じ病気でも、ガンの症状は人によって大きく違うらしく、私の場合、痛みのコントロールがうまくできず、動き回ることが困難。1月は、ほとんど引きこもりの状態で、川越市内をこわごわ動くのが精一杯だった。東京へ行ったのは、通院の2回だけ。社会との繋がりのないこの状態は精神的に辛く、このままでは、気力のほうが先に参ってしまいそうだ。何か手を打たなくてはいけない。
先生は、私の病状をあまり細かく説明してくれない。言い出せば悪い情報ばかりだから、知っていても逆効果だろう、と言う。確かに聞きたくないので、私も突っ込んで聞いていない。ただ推察すれば、次のようなかんじか。
・ガンが膵臓だけでなく、リンパ節、腹腔、肺に転移していることによる、腹水の増加・健康な臓器を圧迫す るための食欲不振、肝臓や腎臓の機能低下。
・抗ガン剤による、骨髄抑制・白血球低下・脱毛。
現在13時。予報どおり、春のような暖かい日差し。今日が金曜日だったことに、先ほど気づく。残りの人生を充実させる、などどいう難しいことは、考えてもわからないことだけがわかった(笑)。
2009年1月22日木曜日
リンク
“すい臓がん.com”というサイトを運営している方からコメントがあり、そちらのサイトで、私の闘病記のリンクを貼ってもらえることになりました。アドレスはこちらです。
http://www.suizo-gan.com/blog/
覗いてみると、他の患者さんの闘病記も多数あり。インテリの方が多いようで、皆さん私の何倍も情報を集めてさまざまな治療法にチャレンジしている様子。中には、新しい治療手段を求めて、どんどん転院しているツワモノもいた。私なんて、まだまだ努力が足りなかった。読んでいたら、膵臓ガンの場合、抗ガン剤による腫瘍の抑制は、通常半年強ぐらいで手詰まりになって効果がでなくなるらしい・・・。大ショック! 今から、次の手を捜さねば。ホスピスを探している場合ではなく、治療法を探そう。
2009年1月21日水曜日
病院の日
先週、赤心堂に入院していたので、2週間ぶりに、がんセンターへ行く。一人で電車に乗って、病院まで行くことができた。まだ動けるようだ。大人しくしていたら治る病気でもないので、これからは疲れない程度に、行動範囲を広げよう。怖がらずに、動いてみよう。抗ガン剤は、2クール目の3回目。血液検査の結果は、さすがに血小板&白血球とも、基準値以下だが、ひどい自覚症状もないので、投与してもらう。
今回、先生との問診に妹と友人の二人に付き添ってもらうために、病院で待ち合わせをした。ちょっと込み入った質問などしたかったので、援護射撃をお願いするためだ。おかげで先生とも、いつもより突っ込んだ内容のディスカッションができ、大変助かった。しかし、今後また、病状が出たときの対処や、病院とのスタンスに、こちらが完全に納得できるような対応は、求めること自体が、厳しいようだった。外来は常に予約でいっぱいで、ベッドは万床に近く、事務処理も煩雑。突然の入院には対応困難等々。こんな病気にかかったことがないので今まで知らなかったけれど、難病の場合、日本では、大別すると、以下の3つの病院を使い分けなければいけないらしい。ずっと同じ病院で、最初から最後まで見てもらう、のは、患者のわがままってことか・・・。
1:難易度の高い病気に対して積極的な治療を行う、有名病院。
2:治療法が確立している病状や、検査などに、フットワーク軽く対応する中クラスの病院。いわゆる「お近 くのかかりつけ医」。
3:治療不能の病気に対応する緩和ケア。ただし数は少なく個室代は高額で、一般人は現実的に長期入院困難 聖路加に入った筑紫哲也は、やはりお金持ちだった。1ヶ月も個室に入院していたら最低でも150万円以 上、かかっているだろう。
私のような難治ガン患者を、途中から引き受けてくれる病院は少なく、こちらから選択できる余地は殆どなかった。日本という国では、具合が悪ければ、どこの病院でも診てもらえると思っていたのに、現実は門前払い。何のために今まで、健康保険料をはらっていたのだろう! これがガン難民なのか。ガンという病気に対して、いろいろな患者団体が活動しているから、この先、状況は改善されるかもしれないけれど、現在は、これが現実。
ところで、今のような小康状態が保てている、ということは抗ガン剤は、効いてる可能性が高い、と判断していいと思う。治らなくても、せめて今より悪化しないように祈るばかりだ。
抗ガン剤の副作用にも、慣れてきたというかコントロールしやすくなってきたので、今日、病院の帰りに、妹と築地のイタリアンレストランにチャレンジ。こういう店に入るのは、2ヶ月ぶりぐらいだ! ピザやサラダが美味しくて、私にしては量も食べることが出来た。純粋に嬉しい。こういう小さな幸せの積み重ねが、人生なんだなぁ、としみじみ。老人っぽいですね。築地を歩いていて妹と「やっぱり東京は埼玉より暖かいね」と言い合う。ここまで体感温度が違うって、築地までは、やはり小さな旅(笑)。
2009年1月20日火曜日
大寒
午後は、埼玉の県立がんセンターのホスピスの下見に行く。綺麗だったが、やはり家から近い、とは言いがたい。でも、埼玉のホスピスは、このがんセンターと上尾○○病院の二箇所しかないのだ。最後をどこでどう迎えたいのか、について、考えておかないと家族に迷惑がかかってしまうため、準備や下見をしているのだが、こういう作業は、やはり苦痛。考えていると、それが現実になってしまいそうで嫌だ、という気持ちもあるし。こういうことってタイミングが難しい。時期なんて誰にもわからないのに、混雑しているため、予約は2ヶ月先までいっぱいだという。
自分のライフスタイルについて。元気なときは、あまり意識していなかったことが、病気によって、問題点や依存していた点、が浮き彫りになってしまった。大学も会社も都内に通い、生活の中心はずっと東京だったのに、現在の私は、川越で親と同居中の独身。友人や知人は、ほとんど東京にいるため、いざ、自分が動けないとなると、会うことも難しい。会社も遠いため、たとえ週3日だけ通う、ということが可能でも通勤のストレスが大きすぎる。一人暮らしだったとしても、こう期間が長引けば、金銭的にも実家に帰らざるをえなかっただろう。とにかく、それまでの自分の生活圏から遠のいてしまった。自分らしさ、とは何だったんだろう。仕事や友人、ショッピングや食事。自分の気に入った生活圏を守ることが私らしさだったとしたら、その基盤は脆弱で、病気ひとつによって、すべてから遠くなってしまった。病気、とはそういうことで、健康でなければ、何も始まらないのだろうけど、このあっけなさは、何だろう。有名な千葉敦子さんの著書「乳がんなんかに負けないぞ」を読み、ニューヨークで独身で、仕事を続けながらガンと戦い、亡くなった彼女が、いかに強靭な精神力の持ち主だったか、よくわかる。病気でも、最後まで自分のライフスタイルを守りぬいた。私みたいな凡人には、とても真似できない。結婚していたり子供がいればいたでまた、違う安心や違う問題があるのだろう。でも、私は、少なくとも病気になる前までの自分の選んだ生き方を後悔はしていない。
とにかく、暗い面だけに目を向けるのは辞めよう。つい、書いてしまいがちだけど・・・。近所の高校の校庭の隅に咲いていた、寒水仙が綺麗だったとか、妹と会話が増えた、とか、いいこともある。暖かくなってくれれば、もう少し活動的にもなれるだろう。
2009年1月19日月曜日
日本の医療って・・・。
どんなに体調が悪くても、待たされてあたりまえ。待った挙句の問診でも、忙しい医者は患者の声に耳を傾けてくれない場合もあり、こちらの質問に、ウンザリしたような態度を示す医者さえいた。多くの患者から同じ質問を受けてるんだろうけど、こっちは初めてなのだ。この当たり前の部分で、もう気持ちを受け止めてもらえない。患者の気持ちを想像する感性(?)みたいなものを持っていない人は、医者に向いていないと思う。
特にガンみたいな病気に罹って、ナイーブになっている患者としては、医者の表現の仕方ひとつで、治療方法の受けめ方も変わってしまうのに。普通の会話ができない医者が多い。そんなに高度な会話能力を求めているつもりはなく、仕事で普通に交わしている常識の範囲の会話レベルを求めているだけなのに、もう全然低レベル。この人、こんな口のきき方でサラリーマンだったら、仕事にならないだろうな、と感じる医者も結構いた。コミュニケーション能力は、医者にとって本当に大切なスキルだと思うし、訓練して欲しい。
もう治癒できない、という段階になった私みたいな患者は、本当に沢山の問題を抱えている。高額な医療費のこと、仕事のこと、心を支えるシステムのこと、家族とのこと、医療者とのコミュニケーション。国立がんセンターは、何とかそういう問題を解決して、医者同士のチームワークを高め、患者の治療から心のケアから退院後の生活まで、トータルでフォローできるシステムを作ろうとしてるけど、まだまだ未完成。そして、それでさえ、川越からは遥かに遠い・・・。
2009年1月18日日曜日
部屋の模様替え
病院食やフルーツやカロリーメイトやおにぎりばっかり食べていたので、流石に飽きてきて、昼食にラーメンの出前を頼んでみた。これが大外れで、マズイ。どっちみち1人前食べられないし、外出が辛いので出前にしたのだけれど、そもそも近所にまともな中華料理屋がなかった。ラーメンは、やはり出向いて食べに行かなければダメなのかも。ほとんど食べられないのに、マズイものを食べてしまった無念さは大きい。
<模様替え>
小康状態の今、病人仕様の過ごしやすい部屋にしようと、改造を考える。単に、今まで家具がなさすぎただけなんだけど、ベッドサイドテーブル、新しいTV台、ラグマット、ローテーブルなど通販カタログを見ながら物色。できるだけ便利にしないと、ますます寝たきりになってしまいそうなので、模様替えは断行したい。
<携帯など>
それにしても、携帯電話やメールは、病人にとって本当に便利でありがたい。これがなかったら、どんなに孤独だったろう。
<お仲間>
中島梓という作家が、やはり膵臓がんに罹り、本を出したりブログを書いたりしている。彼女は、2007年12月に、国立がんセンターで手術でガンを除去するも、2008年4月に肝臓への転移が発見され、その後、抗がん剤治療を続けている。私より半年ぐらい発症が早い。手術したとはいえ、ブログを見る限り、抗ガン剤の副作用や手術の傷跡の痛み以外、ガン自体の痛みはなさそうで、ガンの進行も抑えられている様子。私より、調子が良さそうである。この違いは何だろう。抗がん剤治療をスタートした時期が早かったのか、抗ガン剤がよく効いているのか・・・? 私より先にガンが発見されながら、いまだに頑張っている彼女のブログを見ると、私も負けないように、頑張ろうと思う。
2009年1月17日土曜日
やっと退院
赤心堂の先生は50歳以上のベテランで、がんセンターの先生より信用できるし、家から近いし(タクシーに乗っても1メーター)、赤心堂のほうがいいのだけれど、病棟が古くて、気持ちがふさぎこむかんじなのが、なんとも辛いところ。入院中、隣の個室の男性(たぶん老人)が、亡くなったようだった。この病院で死ぬ人もいるんだな、と思ったが、私はこの暗い病室で最後を迎えるのだけは避けたい。とはいえ、今後、自分の主治医を誰にするのか、覚悟を決めなくてはいけない。がんセンターが、体調の変化に対応してフォローしてくれないのなら、もうがんセンターをあてにできないし。病院や医師のことって、本当によくわからない。すべてが初めてのことで手探りで、情報もなく、いい病院やいい医師に当たるのは、賭けに近いものがある。
<介護保険>
今までは、なんとか自宅療養で頑張ってきたが、この先、自分の気持ちの頑張りや家族のフォローだけでは、乗り切れない局面も増えていくだろう。どんな体調なら、入院なのか?また、そのまま退院できずに死ぬのかも、とは、どういうタイミングで訪れるのだろう? この先素人判断だけではどうしたらいいのかわからないので、介護保険を受けることにして、赤心堂の相談員の人から、ケアマネージャーを紹介してもらった。これで、たとえば自分が動けないときに、看護士や医師の往診を受けたり、パラマウントベッドやポータブルトイレなどのレンタルができる。自分が、こんな年齢で介護保険のお世話になるとは思ってもいなかったが。契約は、まだこれからです。
<体調>
それにしても、1週間の入院を経て、腹水以外、体調は悪化しているようだ。食欲がほとんどなく、食べられない。1日600kcalぐらい取るのが、やっとだ。昨年のガン告知前と比べて、体重も10kg減。ダイエットしたかったころが嘘のようで、もはや、これ以上痩せないようにするにはどうしたらいいのか、必死だ。
手や足は、以前の半分くらいに細くなったけど、筋肉が落ちただけなので、ぷよぷよ。膵臓の腫瘍の痛みだけでなく、リンパ節の腫れも痛みだし、さらにこの腫れが他の臓器を圧迫して苦しい。肺転移が広がれば、呼吸も苦しくなるらしい。このブログにこんなことまで書くのは、どうかと思ったが、もはや書くことでしか、自分の正気を保っていくのが難しい気がしている。自分の死のシナリオが着々と進行しているのを感じるのは、恐怖以外の何でもない。この先、体調が更に悪化しても正常な精神状態を保っていられるだろうか。今、こうして、おだやかな日が差す自分の部屋で、PCに向かっていられることがつくづく幸せだと感じる。
<お礼など>
ところで会社の友人に、置きっぱなしにしていたDVDや年賀状を自宅に郵送してもらった。Nさん、ありがとう。箱を開けて自分がプロデューサーとして関わった作品のDVDや、年賀状を見ると、元気に働いていたころが懐かしく、そしてまた、この人たちと仕事がしたいなぁ、としみじみ思った。なんとか、元通りに直る方法がないものだろうか・・・。
それから、川越までお見舞いにきてくださった方々、励ましのメールをいただいた方々。本当にありがとうございました。おかげさまで自宅にいるよりも、友人達に会うことができて、元気を補充できました。
最後まで、希望を失わずに頑張りたい、と思っています。
2009年1月10日土曜日
緊急入院
がんセンターの主治医にも、昨日夜、電話して窮状を訴えたのだが「まずは、近所の赤心堂に行ってみてくれ」とのこと。「がんセンターに入院しなさい」とは言ってもらえなかった。別に意地悪してるのではなく、家が遠いこと、がんセンターは病室が混んでいて、すぐに入院できない、など理由は想像がつくのだが、やはり大病院は冷たいし融通が利かないんだなぁ、と実感。
ということで、これから準備して入院です。とほほ。
2009年1月9日金曜日
微妙に悪化中
痛みのほうは、モルヒネで何とか抑えている。飲む薬でなく、体に貼るシールに変更になった。ドラマで中井貴一が使用してたヤツだ。シールは3日間有効なので、毎日薬を飲む時間を気にする必要はなくなった。
とにかく、こうしている間にも病気はずんずん進行している。いったいどうすればいいのか。腹水腹を抱えて路頭に迷っている。すでに肺とリンパ節にもガンが転移している、と言われているし、今後、どんな症状が出てくるのだろうか。抗ガン剤は、どうも効いていない気がしてならない。容態の急変もあり得る、と覚悟したほうがいいかもしれない・・・。
ところで、書いている最中に、隣のマンションの火災警報器が鳴り出し、消防車が到着。先日も、このマンションの火災警報器が誤作動していたので、また間違いだと思うが、煩いし迷惑。それに今日は、雨だ。
2009年1月7日水曜日
今年、初上京。
ところで先日、妹に箱根まで日帰りドライブに連れていってもらった。圏央道が開通したおかげで、途中休憩を取りながらも、家から2時間強で到着。近さに、驚愕! 箱根は川越からも楽勝で日帰り圏内だった。しかし富士山が見える露天風呂があるホテルで入浴、が目的だったのに、到着したころに、ちょうど曇ってしまい、富士山は見えず。残念だったけど、お正月に箱根という非常に一般的なことを初めてしてみて、なんとなく満足。帰路、腹痛が起こるが、オキノームという緊急用痛み止めを飲んで、なんとか堪える。
そして、本日は、がんセンターへ。電車に乗ったのも久しぶり。通勤ラッシュを外せば、座れるので多少楽だ。血液検査の結果、白血球も血小板も通常値まで戻っていたので、抗ガン剤投与を行う。ただし、体内の炎症度を示すCRPは0.7。健常値は、0.1以下なので6倍だ。自分の体が可哀想にになる・・・。
今日はベッドが空いていなかったので、リクライニングチェアで投与。ベッドのほうが人気が高いみたいだが、こちらのほうが気楽な気分で受けられるので、私は、チェアのほうがいいかもしれない。先生は、いつものとおり。無駄口は一切ない。必要なことを、淡々としゃべるかんじ。医師に精神的フォローを求めるのは、間違ってるとわかっているけど、雑談くらいは聞いて欲しい気がする。そして、病院で医師にかかっているのに「どうしたら治るんですか?」と聞けないのは結構辛い。聞いたところで、それはだだをこねるようなものになってしまう。腹水などの対処療法を聞いても、根本的な解決方法がないので、答えは「利尿剤と痛み止めで様子をみましょう」のみ。腹水を抜いても、ガンであるかぎり、またすぐ溜まってしまうので、キリがないそうだ。この先、悪化していったらどうなるのかは考えたくもないし、怖くて聞けない。先生は、今後の展開の予測はついているのだろうけど、何も言わない。先行きの暗いことを患者に言わないのがセオリーなんだろう。
死の覚悟なんて、やはり自分には出来ていない。多少でも出来てるつもりだったのは、悟りじゃなく気取りだったと思う。モルヒネが効いて苦痛のない時間に、死ということを思いだすと、健康な人と同じように嫌な気持ちになる。人間なんて現金なものだ。
2009年1月2日金曜日
明けましておめでとうございます
元旦は川越の喜多院に初詣をし、「當病平癒」の護摩を作る。「不治の病」と宣告されていても、さすがに元旦くらいは奇跡を願ってしまうのが、人情というものでしょう。神様、なんとか2010年も迎えさせてください。宜しくお願いします。
去年はガンと言われてから、病院や治療法を探したり悩んだり入院したりで、あっという間に3ヶ月が過ぎてしまったけれど、今年は、小さな目標をたてつつ、地道にやっていきたいと思う。友人と会ったり食事をしたり、美しい景色を見たり、すべてのことを一期一会と思って、大切に過ごしていければ、と。
また、自分がなぜガンになったのか、何を無理していたのか、そんなことを見つめなおすキッカケにしたく、ポチポチと自叙伝みたいなものを書きはじめました。書いてみることで、混乱していた自分の気持ちを整理したり、自分が変わっていけるチャンスを掴めればと思う。こんなところが、私の今年の抱負でしょうかねぇ。
今年も宜しくお願いいたします。