2009年1月20日火曜日

大寒

午前中、介護保険のケアマネージャーと、今後、自宅で援助を受けられる医療について説明を受ける。また、地域の病院情報などについて質問する。私の希望自体、まだまだ漠然としている部分が多く、また家族の事情や考え方ともズレがある。ということで具体的なことには話が進まず、まずは問題の洗い出し、といったかんじ。高齢の親に、あまり負担はかけられないし。
午後は、埼玉の県立がんセンターのホスピスの下見に行く。綺麗だったが、やはり家から近い、とは言いがたい。でも、埼玉のホスピスは、このがんセンターと上尾○○病院の二箇所しかないのだ。最後をどこでどう迎えたいのか、について、考えておかないと家族に迷惑がかかってしまうため、準備や下見をしているのだが、こういう作業は、やはり苦痛。考えていると、それが現実になってしまいそうで嫌だ、という気持ちもあるし。こういうことってタイミングが難しい。時期なんて誰にもわからないのに、混雑しているため、予約は2ヶ月先までいっぱいだという。

自分のライフスタイルについて。元気なときは、あまり意識していなかったことが、病気によって、問題点や依存していた点、が浮き彫りになってしまった。大学も会社も都内に通い、生活の中心はずっと東京だったのに、現在の私は、川越で親と同居中の独身。友人や知人は、ほとんど東京にいるため、いざ、自分が動けないとなると、会うことも難しい。会社も遠いため、たとえ週3日だけ通う、ということが可能でも通勤のストレスが大きすぎる。一人暮らしだったとしても、こう期間が長引けば、金銭的にも実家に帰らざるをえなかっただろう。とにかく、それまでの自分の生活圏から遠のいてしまった。自分らしさ、とは何だったんだろう。仕事や友人、ショッピングや食事。自分の気に入った生活圏を守ることが私らしさだったとしたら、その基盤は脆弱で、病気ひとつによって、すべてから遠くなってしまった。病気、とはそういうことで、健康でなければ、何も始まらないのだろうけど、このあっけなさは、何だろう。有名な千葉敦子さんの著書「乳がんなんかに負けないぞ」を読み、ニューヨークで独身で、仕事を続けながらガンと戦い、亡くなった彼女が、いかに強靭な精神力の持ち主だったか、よくわかる。病気でも、最後まで自分のライフスタイルを守りぬいた。私みたいな凡人には、とても真似できない。結婚していたり子供がいればいたでまた、違う安心や違う問題があるのだろう。でも、私は、少なくとも病気になる前までの自分の選んだ生き方を後悔はしていない。

とにかく、暗い面だけに目を向けるのは辞めよう。つい、書いてしまいがちだけど・・・。近所の高校の校庭の隅に咲いていた、寒水仙が綺麗だったとか、妹と会話が増えた、とか、いいこともある。暖かくなってくれれば、もう少し活動的にもなれるだろう。

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