2008年12月31日水曜日

大晦日

ブログを読んでくださっている方々。この数ヶ月、お付き合いいただきありがとうございました。来年が私にとって最も重要な年になることは間違いなく、このブログを最後まで書き続けられることが、私の来年の目標です。引き続き、よろしくお願いします。思い起こすこと、心に期すことなど、書き出せばいろいろあるけれど、それはまた、おいおいと。

今日は、掃除を少しと年賀状書きなど。稼働時間約6時間。それぐらいが、最近のリミットです。これ以上起きているのは、厳しくなってきました。夜は妹が来たので、一緒に年越しそばなど食べて過ごす。今は、TVで紅白歌合戦を視聴中。歌は「崖の上のポニョ」。藤岡藤巻のうち、藤巻さんのほうは、体調不良ということで途中からTVに出なくなったけど、もしかしてガンだろか・・・。気になりますね。
最近は、いつも11時くらいには寝てしまう私だけど、今日は、年越しまで起きている予定。

皆さん、良いお年を!

2008年12月30日火曜日

永遠の幸福

今年もあと1日になった。今年は1~9月までは普通の生活。ガンとわかった10月からは、怒涛の3ヶ月間だった。長かったような短かったような。一言で言えば、ものすごく消耗した。この年末年始は、少し心の休憩をして、来年からの戦いに備えましょう。3ヶ月間、私はよく頑張りました。自分で自分を褒めましょう。

今日は、会社のNさんとIさんが川越まで来てくれた。年末で忙しい時期なのに、ありがたい。お見舞いに、青いカーネーションをいただく。花言葉は“永遠の幸福”だそう。どうか、そうなりますように。二人と話しながら、来年は生きることを考えよう、と思った。体調は、どうせいつも悪いのだから、できるだけ動こう。会社にも、一度顔を出したほうがいいだろうし。

といいながらも、夕べのことは書いておきたい。ヒドイ目に会った。痛みが強かったのでモルヒネを5mgから7.5mgに増やして服用したところ、まず体が動かなくなって汗びっしょりとなり、次にトリップしたみたいに、いろんな妄想が頭の中をグルグルと回った。この状態で約3時間。麻薬の症状ってこういうことだったのか! 恐ろしすぎる。もしかして死ぬ前ってこうなるのかも、と思ったくらいだ。しかし、私は今後、麻薬を増やしていかないと、痛みに耐え切れないだろうし、どうしたらいいんだろう。この間、医者から、そろそろ腹腔神経叢ブロックを、と言われたが、こういうことを見越していたのかも。膵臓がんの痛みは、お腹に塊があるような鈍痛と、キリキリ刺すような疼痛と両方だ。薬がなかったら、とても正気を保っていられるような状態ではない。こうしている今でも、痛みを薬で遮断しているだけで、実際にはお腹の中で、そんな恐ろしい戦いが起きているのかとと思うと、それが恐ろしい。

2008年12月29日月曜日

借金延命法。と、ガン保険。

昨日、一昨日と体調が良く、頑張って出歩いていたのだが、その反動か、今日はダウン気味。昼すぎまで寝ていた。1時半ごろ、ようやく起き上がって、お昼を食べてこのブログを書いている。一応、そんなに体調は悪くない。体も軽いかんじ。おそらく抗ガン剤が休眠期間のせいだと思う。この先、抗ガン剤による治療が長引くにつれて、必然的に体力も落ちることを予想すると、今のこの年末年始は、自分で思っている以上に大切な時期なのかもしれない。梅雨の晴れ間、というべきか。無理してでも動いて、やりたいことをやらないと後悔しそうだ。ということで、誰かドライブに連れていってください。

<借金延命法>
一昨日、川越までお見舞いに来てくれた友人の提案で、ひとつ取引(?)をした。名づけて「借金延命法」。具体的には私が彼に12万円貸し、彼は毎月1万円づつ1年間かけて返済する、というもの。お金が全額返ってくるまで、私は心配で死ねないだろうから、来年1年間は生き延びる、という算段です(笑)。もし、途中で死んだ場合は、残額は妹に一括返済するってことで契約締結。私にとって12万円は大金だし、お金を貸すにあたっては、ちゃんと借用書も書いてもらった。証拠として、こうしてブログにも書いておくことにする。絶対に全額返してもらいますからね(笑)。それにしても川越のアフタヌーンティーで、ケーキと紅茶を飲みながら、ガンと借金の話をしている光景って、なんだか冗談みたいでリアリティがないけど、でも現実なんだな~、これが。両脇に座っていたお客さんは、どう思ったろうか。
自分が、難治ガンになったという最初のショックを通りすぎ、カウントダウンが始まってるという感覚は、私のなかではもはや日常の一部になってしまったのだが、死ぬ、ということには、まだ現実感がない。ないままに、ちょこちょこと準備だけしているから、自分のなかでリアリティがないというかギャグみたいになってしまってるんだと思う。もしかすると、最後まで実感はないのかもしれない。なぜなら死ぬ瞬間まで、生きているから。死んだ、とかいなくなった、とか思うのは、残された人間の感覚なのかもしれない。とはいえ、痛みを感じるたびに、ガンが巣食っていることは実感させられる。なんとかしてこれが消えないものだろうか。

<温泉>
昨日は、思い切って、狭山の温泉“まきばの湯”へ行った。もし倒れたら、と思うと、たとえ近場の温泉施設でも一人で行くのは怖かったのだが、どうしても行きたかったので。“まきばの湯”は、ここ2~3年、最低でも月1回以上は通っているお気に入りの温泉だ。温泉といっても、最近はやりの地下から発掘した温泉だけど、施設は綺麗だし、泉質は温泉協会から五ツ星認定を取った上質な療養泉だし。なんといっても、石を敷き詰めて、その下に温泉を通した岩盤浴が気に入っている。この日も岩盤浴をしたら、ガサガサだった手の甲が、一気にすべすべになった。免疫力も高まるって書いてあるし、ガンにも良さそうな気がする。毎日は無理でも、1日おきくらいに来ようかと思う。
温泉を堪能したあとは、仮眠室のお気に入りの場所のリクライニングチェアに陣取る。大きな窓から、冬枯れの雑木林と畑と農家と、秩父の山並みと青空が見える。この平和な見慣れた景色を眺めていると、自分が病気だということも嘘みたいに思えてくる。この先もいつもいつまでも、この景色を眺めていられるような気持ちになる。

<ガン保険>
実は今年の2月に、日本興亜生命のガン保険に加入していた。当時、自分がガンだとは思っていなかったけど、体調は悪かったので、保険を見直そうと、以前の保険を買い取って終了させ、新たに医療保険・ガン保険・年金保険、と3つに分散して加入していたのだ。今から思えば、何という虫の知らせ! 本能というか野生の勘では、自分がガンだと気づいていたのだろうか? ガンになったので、ガン保険を申請し、25日、めでたく保険会社から118万円が振り込まれました。3~12月まで、毎月2500円×10ヶ月=25000円の振込で、118万円ゲットだ。もらわないまま健康なのが1番とはいえ、ちょっと得した気分だ。

burogu

2008年12月26日金曜日

毎日

1日のうち半分以上はベッドで寝ている。寝ているほうが痛みが少なく、腰の辛さも軽減されて、体が楽なのだ。また腹水で腹部が圧迫されるせいか、もはやPCで文章を打つことも、結構辛い。座っている、という姿勢そのものが、もう辛いのだ。さらに1日2~3回モルヒネを飲むヤク漬け生活のため、眠気も強い。自分がヤク漬けになる日がくるとは、思ってもいなかった(笑)。書き出せばキリがないほど、不快感でいっぱいの日常です(笑)。

こんな毎日なので今日は、日ごろ読んでる本や聞いてる音楽のことなど。寝ている間にできることといえば、それくらいだし。最近聞く音楽は、なぜかクラシック。クラシックなんて、今までほとんど聴かなかったのに、この嗜好の変化は、年のせいなのか病気のせいなのか。今、お気に入りは、リストの「ため息(3つの演奏会用練習曲)」というピアノ曲。サロン風の小品だけど流麗で甘美な曲です。あとはシューベルトの歌曲と、ショパン関係一通り。クラシックのCDは長いものが多く、一度かければ、長時間持ちます。
本はもう片っ端から何でも。マンガでも小説でも。昨日は「モーニング」「スペリール」「ビッグコミックオリジナル」を一気読み。あと、ここ数日読んだのは「31歳ガン漂流」(奥山貴宏)、「意味がなければスイングはない」(村上春樹)、「北の人名録」(倉本聰)「「赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法」(茂木健一郎)、「ターシャ・テューダーの世界」(写真集)など。それから「カムイ伝」を全巻読破(全38巻)しようと思い、まず5巻まで注文した。「アフタヌーン」も発売されたはずだから買ってこなくては。
昔から現実逃避の妄想が強い私の、今の憧れはターシャ・テューダー。もし長生きできるなら、私もあんな風な一軒家を構えて、自然に囲まれて暮らしたい、と心から思う。

2008年12月25日木曜日

メリークリスマス

といことで、今年も12月25日になりました。クリスマスらしいことは特にしてません。ここ数年、年末はコミケだったけど、今年は当然行かないので、静かな年末です。

昨日は、病院で年内最後の検査。造影CTの結果、ガンは、11月末のころと比べて、大きくも小さくもなっておらず、変わらないとのこと。ただ、また腹水が溜まってきてる様子。腹膜への転移は、相変わらずってことですね。普通、何もしなくても1ヶ月くらいでガンの大きさは変わらないので、抗ガン剤が効いてるかどうかは、全くわかりません。にも関わらず、副作用はてきめんで、白血球は1900まで低下。通常の基準値は4000から8000の間。どれくらい私の免疫システムがやられているか、この数字でわかるでしょう。免疫力が低すぎるので、老人だったら外出禁止、生もの(野菜サラダなど)も禁止になるらしい。そしてさらに、もうひとつの副作用である便秘にも悩まされてます。今まであまり便秘をしたことがなかったので、こんなにツライものだったなんて、と初めて実感。
今のところ状況が好転してるのか、悪化してるのか、それともその間なのか?今ある材料からでは、何も推察できない。宙ぶらりんな状態です。
担当医のオシャレ先生(35歳、独身)に、私がネット情報で見つけた、新しい抗ガン剤について質問したところ「あの会社が作った抗ガン剤なんて効かないから」と一言。名前をメモするわけでもなく、調べる気もない様子。治療法がないと言われる膵臓がんで、こっちはなんとか治せないものかと必死だっていうのに冷たいよね。彼のポケットには、何やら英文の書類が突っ込まれブルガリの腕時計をし、イケメンでインテリなのはわかるけど、そして根は良さそうな人だけど、もう少し、コミュニケーション能力を身に着けたほうがいいと思います。だって、新薬でもなきゃ、私は治らないんですよ。どうせ死ぬ患者なんだから、どうでもいいんでしょうか・・・?
緩和ケアの太っちょ先生(35歳、独身)は、正反対の赤いほっぺのほのぼの系。こちらの先生は明るい人で、雑談などもしやすい。「風のガーデン」のドラマのことも知っていたので「私は今、ドラマで言うと何話目くらいの進行状況でしょうか?」と聞いたところ、「いや、治療をスタートしたばかりの状態だし、この先、長くなるかどうか誰にもわからないしね。まだ1話目ってとこですよ」と、たとえ気休めでも優しい返事。お医者さんには、やはりこういうキャラクターを希望したい。
昨日は、抗ガン剤投与1クールの4週目で投与はなく、このまま年末年始休みに入り来年1月7日まで、抗ガン剤はお休み。本当に嬉しい。抗ガン剤なんて、自分の体に原爆を注入しているようで、気分が重いことこのうえない。けど、他に治療法はないのだ。

病院から出た後、池袋で、友人2人とお茶と食事をする。関西和風料理の店で、久々にカニ鍋を食べておいしかった。こんな風に、頑張って外出したり精力的に動いたりしなくては、と思うけれど、何しろ疲れやすいし、痛みは薬で抑えきれていないし、長時間外出することが不安。また、白血球が下がっている中、外出して風邪でもひいたら一大事だし。
来年、どうなるんだろうか。会社も休み続けて、早3ヶ月。この状態では復職できるメドも何もあったものじゃない。長生きできそうもないし、もはや年金は受け取れまい。なので、年金払うのももう辞めたい。

2008年12月20日土曜日

ドラマ、2本。

昨日一昨日と、かなりしんどくベッドで寝たきり状態だったが、今日はやや復活。洋服が着れました。
木曜日、ドラマ「風のガーデン」の最終回を見てしまった。膵臓がんの終末期は、かなり悲惨だった。とてもここに書けません。ガンで死ぬ、ってみんなああいうものなのだろうか・・・。身近にガンで死んだ人と言っても、叔父叔母ぐらい。最後に付き添っていたわけでも看取ったわけでもないので、私は実は何も知らなかったのだ、と思い知らされた。ドラマのラストに、緒形拳に対する追悼文が出ていた。最後まで俳優の仕事をすることができて、幸せだったろう、と思う。ストーリーから、出演者のバックボーンに至るまで、ガンが底辺に流れているドラマでした。
金曜日は「流星の絆」の最終回。飛ばし飛ばし見ていたドラマだったけど、画期的な構成で、すごい作品だった。ギャグもミステリーも満載で、登場人物も魅力的。そして、主役の二宮君、最高!!

2008年12月18日木曜日

晴れ

昨日、外来でジェムザールの投与に行ってきました。11時にがんセンターに着いて、採血→担当医の問診→緩和ケアの先生の問診→抗ガン剤の点滴。終了したのは17時。ものすごく混んでます。1日がかりです。白血球が4.4/血小板が8.4と下がり、肝機能が悪くなっているが、まだ大丈夫ということで、抗ガン剤投与となった。先生はいつもニコニコしているが、言ってる内容を深読みすると寂しくなる。こんな状態の私に「お酒も少しくらいなら飲んでも大丈夫だし、忘年会でも何でも行ったほうがいいですよ」と。思い出作りを推奨されている気がしてならないんですが・・・。それと今日わかったことは、担当のK先生が35歳ということ。若いだろうとは思っていたけど、やはりね。医者だけは年配の先生のほうが安心な気がする。
行きは電車で行ったが、帰りは妹が車で迎えにきてくれたので、それに乗って帰宅。助かりました。前回のような吐き気は無くなったけど、副作用については、まだ色々と心配です。また、痛みが増しているのでモルヒネを1.5倍の量に増やしてもらう。これって、抗ガン剤が効いてない証拠なのでは? と密かに憂鬱。マスクをする癖がついていなくて、ついマスクなしで外出してしまうが、白血球が減っているし、人混みに出るときは、感染症予防のために必ずマスクをしなくては。

今日は、一日パジャマでごろごろしてしまった。こんな生活でも会社や保険会社への書類を書いて提出したり、買いたいものがあったりと「やることリスト」は結構あるんだけど、どうにも倦怠感。昨日1日外出していた疲れもあるだろうけど、これも副作用か。
退院以来したことは、美容院へ行ってカットした、霊園の下見、病院の外来、これだけです。でももう、退院して1週間たつし、少し稼動しましょう。なんとかまだ少しづつなら動けそうです。不義理をしていた友人に会ったり、川越に新しくできた映画館を見に行ったり、日帰り温泉へ行ってみたり、部屋の整理をしたり。モルヒネを飲んでいるので、車の運転は控えるように言われてるけど、車がないと身動きできないし、近距離なら、許してください。

2008年12月14日日曜日

痛み止めのモルヒネの量が少ないようで、毎日午後になると、痛みが増す。水曜日にがんセンターへ行ったら、処方を頼んでモルヒネを増やしてもらおう。なんだか、もう抗がん剤をやる気もなくなってきた。ペインクリニックだけでいいような気がする。医者から何度も「手遅れ」と言われ、こうも痛みが増してくると「死ぬ」という確率的予想が、ますます実感を伴ってきた。やがてやってくる「死」にうろたえているばかり、という心理状態は嫌だけれど、泰然自若と迎えるほどの余裕はないです。それでもいよいよもって、自分の死をまじまじと見つめなければならなくなって、なんとか少しづつでも、気持ちを整理していきたいと思う。

葬式や法事の儀式、お墓について、私は無意味だと思っていません。本人は死んでいるのだから、考えるのも面倒だし詮無い話だ、と思うこともあったけど、人は幸か不幸か、自分の死後の事態を想像することができます。その死後への予期が、私の場合、現在の自分の生に対して影響を及ぼすみたいなので、面倒だけど、考えなくちゃなぁ、というところです。でも、本当に面倒・・・。今日、ドラマの「篤姫」が最終回でした。ああいう身分のある人の場合は、葬式やお墓について、儀式はすべて決まっていて、周りがすべて良きように計らってくれる、というのは楽でいいですね。

2008年12月12日金曜日

退院

治ってはいないものの、薬でのコントロールの仕方を覚えたので本日退院しました。予想以上に長い、計18日間の入院でした。それにしても、川越からがんセンターは確かに遠いけれど、親が2回しか面会に来なかったのは、ちょっとあんまりだと思う。18日間の入院費は、保険もろもろを適用して、自己負担額¥180,880。安いです。ちなみに正式な医療費合計額は¥696,380。保険のありがたさが身にしみました。

結局、入院中にジェムザールを2回投与。吐き気と発熱は、薬でコントロール。白血球と血小板が確かに減っており、これ以上減ると、来週は投与できないそうです。来週から、毎週水曜日に外来でジェムザールの投与に通います。
それにしても、びっくりするほど体が動かなくなってしまった。1時間以上起きているのが辛く、腰が痛いため歩き方までよろよろしてきた。本当に「病人」というかんじ。これは努力で直せるのだろうか? 薬が手放せなくなり、薬がなければもはや普通に生活することはできません。病院からもらってきた薬は、全部で15種類もあり、痛み止めのモルヒネは、これからずっとお友達になりそう。こうやって体が弱って死んでいくんですね・・・。食欲もほとんどなく、主食は果物。あと少しの野菜と炭水化物。腹部の膨張感が強く、これ以上食べられないのが実情です。膵臓以外にガンが、腹膜、リンパ節、肺に転移しているそうで、自分で思う以上に私は末期なのかもしれません。ジェムザールが効いてなければ、本当に春まで持たないだろう、と。

そして現在、困っているのが、がんセンターと連携して地元で面倒を見てくれる病院が見つからないこと。がんセンターのソーシャルワーカーが探してくれているが、すでに川越の3つの病院で断られたとのこと。容態が急変したときに駆け込み入院できる近所の病院がないと心細い。がんセンターまで救急車で搬送してくれるんでしょうか?またまた病院探しがあらたな課題です。はぁ・・・。

それと、他のサイトでも見つけたけど、やはりペプチドワクチンは有効なのか?がんセンターでは「マスコミが先走って報道しているだけ。期待しているというレベルで実績はない。むしろ効いていない。」と消極的だったけど、それを鵜呑みにしていいものなのか。助かるのならやりたいし。ネットで色々情報を見るとその真偽が気になり、振り回されて疲れます。

★以下、記事の流用★

がんペプチドワクチンの外来が始めてできたそうです。患者の負担も軽減する処置を執っているとか。こうした外来が全国に増えることを期待したいものです。

全国初のがんワクチン外来、久留米大病院開設へ

 久留米大医学部(福岡県久留米市)は3日、来春から大学病院内に「がんワクチン外来」を設置し、全国初のがん患者らへのワクチン療法を始めると発表した。

 がんの治療法は手術で患部を切除する外科療法、抗がん剤を投与する薬物療法、放射線療法の三つ。ワクチン療法は免疫機能を高めてがん細胞を排除する「第4の治療法」として注目される。

 同大の伊東恭悟教授(免疫治療学)、山田亮教授(がん免疫学)らによると、それぞれの患者のがん細胞の表面にあるペプチドと呼ばれるたんぱく質を特定し、同じタイプの「ペプチドワクチン」を患者に投与する。ワクチンががん細胞を攻撃する体内の細胞を活性化、増殖させ、がん細胞を排除する仕組み。

 吐き気などを催す抗がん剤などと違って副作用が少ないほか、週に1度注射するだけで入院も必要ないなど、従来の治療法に比べ患者の負担が少ない。

 前立腺がん、膵臓(すいぞう)がんなどの患者500人余に対する臨床試験で安全性を確認。延命効果が得られた患者も多かったとして、がんワクチン外来の新設を決めた。患者には少なくとも計6回、ワクチンを投与する。

 ペプチドワクチンは医薬品として国の承認を得ていないため、公的医療保険を使えないが、患者の治療費を数十万円(6回分)に抑え、残りは大学側で負担する方針。5年以内の医薬品承認を目指している。

 ワクチン療法は、ほかに東大や札幌医大なども研究しているが、外来を設けるのは久留米大が初めてという。同大の薬師寺道明学長は「どの治療からも見放された『がん難民』と言われる患者への治療法を考えてきた。患者に『第4の選択肢』ができたのではないか」と話している。
(2008年12月4日 読売新聞)


2008年12月 4日 (木) 膵臓癌の知識・情報 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月30日 (日)
癌ペプチドワクチン療法(続報)
東京大学医科学研究所の中村祐輔教授の「がんペプチドワクチン」に関してさまざまな情報がありますが、 PanCAN Japan (パンキャンジャパン・日本すい臓がん患者会)の「がんペプチドワクチン療法について」のページに、

膵がんに対してワクチン療法を実施している医療機関の一覧が掲載されています。

■膵がんワクチン療法臨床研究中の医療機関

●福島県立医科大学 第一外科 TEL: 024-547-1111
責任者 後藤 満一
担当医 木村 隆

●東京女子医科大学東医療センター 外科 TEL: 03-3810-1111
責任者 小川 健治
担当医 塩澤 俊一、金 達浩

●東京女子医科大学 消化器外科 TEL: 03-3353-8111
責任者 山本 雅一
担当医 有賀 淳

●札幌医科大学 第一内科 TEL: 011-611-2111
責任者 篠村 恭久
担当医 細川 雅代

●九州大学 先端分子・細胞治療科 TEL: 092-641-1151
責任者 谷 憲三朗
担当医 伊賀 睦了

●川崎医科大学 臨床腫瘍科 TEL: 086-462-1111
責任者 山口 佳之

●和歌山県立医科大学 第二外科 TEL: 073-447-2300
責任者 山上 裕機
担当医 谷 眞至、宮澤 基樹

問い合わせ先:

東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター 中村教授
03-3443-8111(代表)
http://www.ims.u-tokyo.ac.jp/nakamura/main/top.html

2008年12月10日水曜日

入院生活4

退院は、金曜になりそう。昨日ジェムザールを投与したけど、今のところ熱もなく、安定してます。しかし、効いてるのかな。退院したら、イケメンの担当医2名と毎日会えなくなるのが寂しいです。

2008年12月8日月曜日

入院生活3

ついに入院2週間。外はかなり寒くなったようですが、病院の中は半袖で大丈夫です。
痛みと吐き気は薬でなんとかコントロールできるようになったけど、腹部の膨張感と便秘には悩まされています。明日、二回目の抗ガン剤投与です。その副作用次第しだいですが、木曜には退院できるだろうと予想。先生からは、病院に飽きたら退院してください、と言われてます。でも退院後、家で一人でこの病気と向かい合っていくのもつらいなぁ。

2008年12月6日土曜日

入院生活2

やっと病院のpcから書き込み。操作がすごく面倒。お見舞いにきてもらった方々、ありがとうございます。
ジェムザールの副作用で吐き気発熱はあったものの、なんとか治まり今日は小康状態。
今回のガンの件で、改めて考えさせられたのは病院選びのむずかしさと、お一人さまの闘病生活と死、ってこと。入退院の手伝いや、先生の話の同席などは、どうしても仕事を休む必要があり、肉親でないと頼みづらい。また最近、心の贈与、という言葉についても考える。これらのことは、退院してからあらためて書きたい。

2008年11月30日日曜日

入院生活

Gセンターに入院して早くも6日目。パソコンを持ち込むのはOKだったけど、インターネットとの接続の仕方がわからずブログを更新できなかった。携帯電話からも更新できるはずだが、やり方を知らず。この週末だけ、自宅に外泊しにきたので、早速更新。Gセンターの病棟は、とにかく綺麗です。4人の大部屋だけど、一人分のスペースも十分だし、棚やTVも機能的にしつらえてあり使いやすい。築地市場や運河を見下ろし、遠くはレインボーブリッジやお台場のフジTVも見え、景色も抜群。行きかう船や飛行機、車、人の賑わいもよく見える。築地市場は午前3時から、もう動いていました。各部屋にトイレ、洗面所、シャワールームもついていて、J医大と比べると月とすっぽん。

・1~3日目
とにかく検査漬け。エコー、心電図、造影CT、採血、膵生検。膵生検は辛かった。検査じゃなくて、ほとんど手術。点滴して、筋肉注射して、お腹に麻酔して、そのあと膵臓まで針を3本通して、組織を吸い上げる。意識はあるので、涙目で横たわってました。また、今までの痛み止めが、もう効かなくなったので、先生に新しい薬を出してもらった。今度の痛み止めは2種類なんだけど、その副作用を抑えるために、胃薬2種類、利尿剤、下剤2種類、を飲まなければならず、一挙に薬が7個。大丈夫なの? というかここまでしないと、もう痛みが抑えられない、深刻な状況。ただし、私は痛みのコントロールさえできれば割と普通に日常生活が送れるので「QOLをあげる手助け」が、不治の患者に対する、病院の役割らしいです。

・4日目
検査結果報告。今度こそ、病理でガン細胞が検出されたとのことで、正式にガンです。このまま何もしなければ、春を迎えられないでしょう、と言われました。私の状況は、それほどまでに切迫してたんですね。暢気だったのは本人ばかりなり。あとは、どの化学療法を選ぶか、12月1日(月)に相談して決めましょう、とのことでした。どうしましょう。自分の中では、次の二つに絞りました。ただし、どちらの治療を選んでも治りません。延命のみです。

A:ジェムザールからスタートする標準治。次にTS1。
B:ジェムザールとワクチンの併用

Bを選ぶと1ヶ月入院、おまけに月2回づつ6本の注射。そして毎週、抗ガン剤かワクチンの投与があるので、まったく休みの週がない。ワクチンは、今のところ人間に効いてるかどうかわからないそうです。負担のわりには効果が見られない、というのが現状っぽい。
Aだと1週間入院。3週投与して、4週目はお休み。これだと、体も楽だし、自由時間も多いため、空いてる時間を自分の好きなことに使えます。とはいえ、治らない病気なのに、治療がこれだけ、なんて心もとない気もします。また、悩むネタができてしまった。どうする、私!

今後、どうしよう。体はだいぶ弱ってきました。12月以降、どういうメドと目標で動こうか。会社? 旅行? とにかくだらだらしてると、どんどん弱ってしまう気もするけど、自分の体力が今後どうなるのかわからない中で、計画を立てるのってすごく難しい。
そして、明日からまた入院。

2008年11月24日月曜日

穏やかな日

もう11月も下旬なんだな。告知されて以降、時間がたつのがあっという間だった。年末になるなんて実感はどこにもない。仕事の年末スケジュールもないから、いっそうそう感じるのだろうか。

薬さえ効いていれば痛みもなく、ガンだということを忘れるくらいの穏やかな日。キャロル・キングのCDを聴きながら入院の準備。ガンじゃなかったら、今ごろ何をしていただろう? あの会社で仕事しながら、温泉旅行のプランでも練って、買い物やエステに行って・・・。ふと、そんな気持ちに浸ってみたあとで、現実に目を向けろ、と自分で自分に言い聞かせる。この先病状が悪化したときのために、今できるだけの準備をするのだと。追い払いたい暗い想像も、そのためには必要なことなんだろう。でももう、いろいろ調べたり準備したり交渉したり、何もかも頑張っていることに、とても疲れてきた・・・。抗ガン剤治療にもいつまで耐えられるだろうか・・・。

昨日は、会社のNさんが川越までお見舞いに来てくれた。私はもう、歩き回る体力がないため、川越を案内できず、ほとんどお茶していただけで、申し訳なかった。相変わらず、明るくて面白いNさん。そんな彼女も会社や仕事のことで悩みがあるようだけど、私のように病気にならないうちに、うまくストレスをコントロールして、幸せに生活していって欲しいと思う。

宮沢賢治は37才で肺炎で亡くなったが、彼の闘病中に、以下のような詩がある。

「夜」

これで二時間
咽喉からの血はとまらない
おもてはもう人もあるかず
樹などしづかに息してめぐむ春の夜
こここそ春の道場で
菩薩は億の身をも棄て
諸仏はここに涅槃し住し給う故
こんやもうここで誰にも見られず
ひとり死んでもいいのだと
いくたびさうも考えをきめ
自分で自分に教えながら
またままぬるく
あたらしい血が湧くたび
なおほのじろくわたくしはおびえる

なんか私、暗くなってますね。いかんいかん。それにいくら考えたって私は死なずに生きたいんだし。いくらガンでも、もっと前向きにアクティブに生活しなくては。そうしたほうが、この先どうなろうが、日々を充実させてるってことになるんだろうし。
早く会社に行って、少しでも仕事をしよう。ずっと家にいると、ますますくさっちゃう。旅行でも行ければいいけど、そうじゃないから、さすがに長い休みにも飽きてきた。私も小説でも書こうかな。まぁ、書いても生きてるうちに出版できる保障はないけど。同じく膵臓がんの中島梓のブログを見ていて、50代の彼女のほうがアクティブに生きているので、ちょっとショックを受けた。私もなんか楽しみを作りましょう。そうしないと、ほんとにすぐ死んじゃうぞ!

2008年11月22日土曜日

結局・・・

Gセンターにしてしまいました。もう後戻りできません。ここだと、治験を受けなきゃいけない。標準治療にしない怖さもすごくあります。でも、標準治療じゃ治らない、というエビデンスが出ているわけだし。25日から、まずは検査のため入院。その後、4のワクチン併用治療になるなら3週間の入院。治験なので、4(下記参照)だけは自分の意思で選べるけど、1~3はコンピュータでランダムに決めるため、どれにするか自分で選べないそうです。そんなの嫌だ~。ジェムザールは世界で認められている薬だけど、TS1は日本でしか認められていない薬。できるだけジェムザールを優先した治療を受けたい。

<Gセンターの治験の方法>
1)ジェムザール→TS1へ移行
2)TS1→ジェムザールへ移行
3)ジェムザール&TS1の同時スタート
4)ジェムザールとワクチン療法の同時スタート
番外)希望とあらば、日本人で始めて飲むような薬も試せるとのこと

ところで、漢方薬を飲み始めて6日。昨日あたりから、調子が良くなってきたかんじ。痛みが治まってきて、腹部の圧迫感も軽減してきた。効いてるのかな? もしかしてガンが縮小していないだろうか?これが効いてガンが消滅してくれたら、最善です。漢方薬には副作用もないし、飲むだけだから痛い思いはしないで済む。

そして昨日、SMEのOB会でした。しかし、行ってみたら平均年齢60歳くらいの老人と偉い人ばかり。大賀さん、盛田さん、小澤さん、丸山さん、稲垣さん他、歴代のお歴々と顔も知らないおじいさんばかりで、私は場違いでした。若い人はほとんどいなかった。一緒に行ったSと二人、隅っこで小さくなってました。ただ、さすがにSMEらしい華やかなパーティで、久しぶりに業界の雰囲気を味わったかんじ。ゲストに南沙織が来ていた。在職中は、こういうパーティを当たり前だと思っていたけど、そうじゃないことは転職して身にしみた。現職の各社社長も出席しており、若いほうの社長の数人とちょっと話をした。皆さん、後輩だったのに社長です・・・。

入院まであと2日。やっと治療らしいことを始められる安心感と、抗ガン剤への不安とないまぜです。J医大で大人しく標準治療を受けていたほうが良かったんじゃないかと、ふと不安になる。日本人って治験を受ける人が少ないそうです。チャレンジしすぎだったろうか。G研には選択肢が少なかったけど、一番堅実だったかもしれない。少しでも不安のある治療を、患者に対してしないから。

2008年11月19日水曜日

化学療法

久しぶりに病院の予約がない1日。いい天気。紅葉でも見にいきたいが、少し家でゆっくりもしていたいし。でも来年の紅葉が見れるかもわからないし。最近、限られた人としか会ってないなぁ。もう一度、いろいろな人たちと会いたい。一緒に仕事をしてきた他社のプロデューサーの人たちにも会いたい。生前お別れ会でもやるしかないのだろうか・・・。でも、そんなもの主催する元気もないし。最近、世間はクリスマスモード&年末モードに突入したようですが、社会からドロップアウトしつつある、このごろ。置いてけぼりです。病気だから仕方ないか、と思いつつ、これから寒くなると、ますます人恋しくなりそう。

●ところで、化学療法の件。選択肢が3つ。
<J医大>ジェムザール、TS1、ペプチドワクチン(臨床実験)
<G研>ジェムザール&TS1の同時開始。また、地元の埼玉医大と連携体制が組める、とのこと。
<Gセンター>明日、聞く。

●そして、抗ガン剤を使用するにあたって
J医大では、もはや検査もなく、すぐ抗ガン剤の使用に入るが、私はいまだに、ガン組織が検出されていない。血液型のせいで(AOB式の血液型ではない)腫瘍マーカーに反応が出ないそうで、腫瘍マーカーでガンの判定ができない。ERCPの結果はクラス3。これは不健全な細胞は認めるが、ガンではない、とのこと。EUSでもガン細胞は発見されず。画像診断だけでガンと認定されているが、ガンという確定診断がないのに、抗ガン剤を投与していいんでしょうか?G研とGセンターでは、再検査をしてからでないと、抗ガン剤の投与はしないそうです。といっても、痛みは強くなっているし、もうガンなのは間違いないと思います。

●各病院の違い
J医大のペプチドワクチンは、やってみたいが、もはやJ医大を信用していない。G研の対応は良いのだが、ここだとペプチドワクチンをやれない。また、ジェムザール+TS1の同時使用の治験に参加させられるが、薬に弱い体質の自分としては、いきなり2種類の抗ガン剤を使用することに対する副作用が非常に心配。さらに、他の抗ガン剤や免疫療法が試せないなら、これが効かなかった場合、お手上げである。それとも、外のクリニックでペプチドワクチンを試すことを了承してくれるんだろうか?
すでにJ医大で、21日に第一回目の抗ガン剤投与を予約してしまっているが、G研でお世話になるなら、J医大はキャンセルしてくれ、という。しかし、これ以上治療のスタートが遅れるのも、不安だ・・・。またもやどうしたらいいのか、わからなくなってしまった。もう悩んでいないで、とっとと治療を開始したいのに。誰か答えを知りませんか?

結局、今日、両親と妹と4人で高尾山までドライブに行った。紅葉は中くらいだったけど、久しぶりに自然に触れられて良かった。おそばもおいしかった。山頂の宿坊があった。ここで1ヶ月くらい修行したら、癌も治らないだろうか。

それにしても、今日あらためて思ったが、私の癌発見の遅れは、最初にかかった赤心堂、そして女子医大のせいである。赤心堂では膵炎だろうとノンビリ検査され、女子医大では混んでいるからと検査を1ヶ月半も放置された。この時間がどれだけ無駄だったことだろう。この間に発見できて手術できていれば、今頃、手術も終わって、ガンは取りきった、ってことで、会社で働いていたでしょう。女子医大のこと、訴えたっていいくらいだ。結局この時間のロスが命取りとなって、現在に至る。癌研の先生には「私たちは、膵臓がんを治す武器を持っていません。できるだけQOLをあげて、快適に生活できる時間を延ばすだけです」と明言された。とことん諦めずに頑張るつもりだけど、どこまで頑張れるのか、誰にも自分にもわからない。生活の隅々まで不確定さ、というものに支配されている。やりきれない・・・。癌の怖さは、病気だけではなく、病気との戦い方を通して、その人の生き様や考え方を明らかにしてしまうことだろう。

2008年11月17日月曜日

フル稼働

昨日は、NPO法人主催の“膵臓がんセミナー”を聞きに、青山まで行く。講師は、国立がんセンター:胆肝膵内科・奥坂先生、癌研有明病院:麻酔科・服部先生、東京女子医大:消化器外科・羽鳥先生。いろいろ参考になった。私が悩んでること(膵臓がんの情報が少ない、病院探し、都内の大病院だけではなく地元の病院との連携など)は、みんなに共通している悩みなんだともわかった。他の患者さんとも交流できるかと思ったけど、なんとなくそういう雰囲気ではなかったですね。

今日は午前中、川越の埼玉医科大学病院へ行ったけど、紹介状がないと外来が受け付けられないと断られた。ここも大病院だし小回りは利かなそう。末期になったら、家から近いこの病院のお世話になろうと思って下見のつもりだったんだけど、この病院に転院するつもりじゃなかったら、面倒見てもらうのは難しいかも。あ~あ。満足な治療を求めることさえ難しい。進行ガンの患者を途中で受け入れてくれる施設って少ないんだな。
ガン難民とは、こういうことなんだな。病院のソーシャルワーカーに相談しよう。そのほうが良さそうだ。

午後は、銀座東京クリニックへ行って、漢方薬の処方をしてもらう。初診料と2週間分の漢方薬で、あわせて21000円。ここの先生は、もともと外科医だし国立がんセンターの研究所にいたり、ツムラで漢方薬の研究をしていた人なので、信用できるかんじ。漢方薬でガンは治らないけど、抗ガン剤の副作用を抑え、免疫力を高め、多少ならガンを攻撃する力がある、とのこと。
帰り道、銀座のミキモトのクリスマスツリーがライトアップされていて綺麗だった。写メを撮る。来年も見れますように。

夜、早速漢方薬を煎じて飲んだ。なんと40分も煮詰めなきゃいけない。こんな本格的な漢方薬は初めてだし、すっごく苦くてマズイけど、飲んで10分ぐらいで体中がすっきりした感覚。利いてる気がする。

2008年11月15日土曜日

そして手遅れ・・・

昨日朝、女子医大から電話があり「H先生の外来予約を取ったから今日16時に来てくれ」とのこと。どきどきする。14時から、NPO法人の無料がん相談というのに予約していたので、先にそちらへ行く。癌研のN先生という人だった。手術や病状のことなど、とりとめのないことを話したが、親切に答えてくれた。「腹水がたまっていること」について話したら「個人的意見ですが、その場合腹膜にガンがひろがってる可能性が高く、手術はもうしないほうがいいだろう」と言われた。
そして女子医大。父と、またYさんとMさんにつきそってもらった。16時のはずが2時間待たされ、18時ごろ面談。F先生の誤診を詫びられ「腹水がたまっているので、もう手術の適応外」だと言われる。がん相談で同じことを言われたあとだったので、覚悟はしていたが、ショックだ。これでまた一歩、死が近くなった。化学療法を来週からはじめることになった。まずはジェムザールから。これが効いてくれることだけが、頼みの綱となった。これでガンが縮小すれば手術ができる。
夜、父だけ先に帰ってもらい、YさんMさんと3人で新宿で食事。アルコール0.5%のビールを飲んでみたが、ちょっと置いておくと、炭酸が抜け味がなく大変マズイ。手術は出来なくなったが、とりあえず治療をすることが決まったせいか、なんとなく3人とも明るかった。仕事を抜け出して来てくれた二人には本当に感謝感謝。
それにしても、痛みは増し、腹水も増え、明け方必ず寝苦しくて目が覚めるようになってしまった。確実にそして急速に悪化している。思えば、6月に腹痛で訪れた病院で、すぐ膵臓がんを疑ってくれたら、7月にはがんとわかり、8月には手術できていただろう。それならば早期発見で、ガンも小さくもっと小規模な手術で済んで、完治していたかもしれない。まったく、病院に行っていたにもかかわらず、このざまだ。数々の見逃しやミスのおかげで、現在取り返しのつかないこととなり、こんなことになってしまった。

今日は、末期になったときの地元の病院を探しておこう、と思って、妹とK胃腸病院へ行った。院長先生はいい人だったけど、緩和ケアもないし、膵臓がんの患者を扱うノウハウがないので無理、と断られた。この辺だと、そういう対応ができる病院はS医大病院ぐらいしかない、という。ただし、最後になって急に飛び込んでもいい顔はされないので、今のうちに化学療法で通うなどしたほうがいい、とのアドバイス。それはそうなんだろうけど、今のところは東京の病院で治療を受けたいしなぁ。それから腹水のことについては、腹水がガンのために溜まってるのかどうか検査しないで確定しているのは、おかしいのでは、と言われた。確かにそうですね。先生によって言うことが違って、本当に混乱します。しかし腹水を取って調べるのは、入院しないとできない。信じられる主治医と病院がないと、いちいちこっちが混乱してしまう。ほとほと参ってきました。どうする私!!!

私の体はいつまで持つんだろう。データからいって、あと半年、長くて1年。とほほ。その間にやりたいことをやって、納得のいく治療をうけられる病院を探して・・・、なんて忙しすぎる。できないよ~。誰か助けて!旅行だって年内に行かなければ、来年になったら体が動く保障がない。温泉と南の島。

2008年11月13日木曜日

不確定な日々

まだ女子医大から連絡がこない。どうなってるんだろう?やっぱりF先生じゃなく、H先生と直接話さないと、意味がなかったのかな。不安・・・。そもそもH先生にまで、話が伝わってるかどうかもわからない。12月中旬じゃ、どう考えても手術できないよね。明日電話してみようかな。なんかもうF先生の顔を見るのも嫌になってきた。
今日は、久々に良い天気。川原をサイクリングして、水上公園でお散歩。水上公園では、城南中の生徒がマラソン大会をしていた。大変そうだった。その後、温泉施設へ行って、薬湯風呂に入ってマッサージ。少しは体に良かっただろうか・・。
「明るいがん治療」という本を出している、UASオンコロジーセンターというクリニックにアポを取った。放射線治療で実績を出している病院。この病院、治療するには鹿児島に行かなくちゃいけないらしい。もしかして、筑紫哲也が鹿児島まで行って入院していたのは、この病院かも。でも治らずに亡くなってるけど。
痛みは薬を飲むことで抑えてるけど、治ってるわけじゃない。真剣に考えると、本当に泣きそうになる。こんんなに何もしてないガン患者なんているだろうか。

2008年11月12日水曜日

手術の件

11日に女子医大の外来へ行く。大学時代からの友人、MさんとYさんに付き添いできてもらった。F先生に「再度、手術を」と話したところ、スケジュールが立て込んでいて、12月中旬でなければ手術できないとのこと。が~ん。11月下旬なら、手術できるだろうと思って行ったのに。12月中旬では、もう手術しないほうがいいんじゃないだろうか。F先生は「とにかく予約して手術前に検査して、まだ手術可能であれば手術しましょう」と。なんてこと! 人を治す気なんてないんだな、と思った。だって、もしその手遅れのために私が死んだら、どうするんだ。いくら病院がいっぱいだからって・・・。私はそれでいいわけ!? 墨東病院の妊婦たらいまわし事件のようなことも、こうやって起きて、人が死ぬんだな。
まぁ、手術を延期してきたのは自分のせいだけど、それにしてもねぇ。私の手術の中で、一番問題なのは腹腔動脈切除、というやつらしい。この動脈は肝臓や脾臓や胃や十二指腸を養っている血管で、めったに切除しないところだそうです。とくに肝臓への血流が低下すると致命的なんだって。しかも、ここまでの拡大手術を行わなければならない進行ガンは再発率が90%で、拡大切除をしても手術しなかった場合と比べて、生存期間にはあまり差はない、というデータもあるとか。どっちを向いても、明るい情報なし。
しかし、女子医大って本当にひどいな。患者の納得するような説明をしないし、対応もしない。手術してやってる、ってかんじ。この病院にかかったことが、私の治療を遅らせている大きい原因のような気がしてきた。
せめて信用できる先生に出会いたい。どこにいるんだ。同席してもらったYさんも私と同感で、先生にはかなり?を感じていたようだった。
温泉旅行に行きたいな。南の島で、のんびりしたいな。南の島のビーチのデッキチェアで死ねるんだったら、それもいいかも。

2008年11月10日月曜日

曇りの日々

ここのところ、毎日にように曇りだ。昨日、友人が川越まできてくれた。軽く川越観光をして、そのあと相談やカラオケ(1時間半ほど)に付き合ってもらった。ありがたい。いろいろと悩みを話す。街中でちょうど、来年1月からスタートするNHKの朝の連ドラのロケをやっていて、これも友人と見学。川越祭りのシーンを再現していた。さすがNHK、お金のある番組作りだなぁ、と羨ましかった。
昨日の疲れもあって、今日は一日部屋でごろごろして過ごす。腹部のしこり感は大きくなっていて、寝ていると苦しいことが多い。治療をしたいのは山々だが、どんな治療が有効なのか誰も教えてくれない。抗ガン剤もほとんど効かない難病で、自分の納得のいく治療が、どこにあるんだ!ネットを見ると、ほとんどの膵臓がんの患者さんが、何も疑わず抗ガン剤治療をしているが、あれはどうしてなんだろう。
東京銀座クリニックという病院をネットで見つけた。ここで漢方薬を処方してもらおうか思案中。元国立がんセンターの研究員の方が院長でもあり、なんとなく信用できそうなかんじ。メールを送ったところ、迅速な回答が返ってきてありがたいが、もしかして暇なのだろうか、とかんぐってしまう。
病気になってわかったことは、本当に自分が日本の医療について知識がなかったこと。どんな病院がいいのかとか、何も知らなかった。最初に赤心堂へ行ったのは、失敗だった気がする。あそこの病院で、もっと早くガンを疑ってくれれば、夏には手術していただろう。
冬の向かい、私の生命エネルギーも序々に低下しているようで怖い。今のところ楽しみは、出れるかどうかわからないけど、11月21日のSMEのOB会だけだ。12月や1月の楽しみも作らなくてはいけない。というか病気を治して、会社へ行ってアニメの仕事をするのが、一番の楽しみなんだけど。

2008年11月9日日曜日

相変わらず

昨日、肩こり腰痛のせいか、だるさがひどいため、ストレッチをやったところ、かなり体調が改善された。ガンの痛みもなくなり、痛み止めを飲まなくても眠れた。治ったんじゃないかと思うほどだが、腹部のしこりは、しっかりある。やっぱりだめか~。体が重かったのは、痛み止めのハイペンの副作用だったような気もする。痛み止めを飲むのをやめたら、体が軽くなった。もともと薬に反応しやすい体質だが、痛み止めの副作用ぐらいでこんなに弱るようじゃ、抗ガン剤ではどうなるんだろう・・・。
昨日、女子医大に電話して、今後、またお世話になるにあたって「主治医を変えて欲しい」という要望を出した。F先生では、まだガン患者の対応は無理だと思う。T先生は、快くOKしてくれたので、大丈夫そうです。患者からの希望なら、主治医は変えやすいようだ。H先生は忙しいし、大物先生すぎて、こっちが緊張してしまうし。とはいえ、日にちもたち、手術に関しては、また気持ちも変化してきた。リスクがあってもしよう、という気持ちでいたけど、もはやリスクのほうが大きい気がする。手術しなければ1年以上生きる見込みは10%ぐらい。でも、手術しても、非常に辛い生活が待っている。私は弱虫だから、痛いとか苦しいとか大嫌いだ。とはいえ、痛みが増してきたため、10月のころと比べて自分の体力は落ちてきた気がする。
でも、心のどこかで、ガンは治るはず、と夢みたいなことを信じてる。世間には、ガンが自然退縮する人だっているのだ。末期の進行ガンだって10年以上生きてる人もいる。人間の体は、誰にもわからない。私が無意識でなんとなく思ってることは、やはり健康的な生活を日々続けていくことが、ガンを治す近道なんじゃないかということ。痛み止めの副作用ぐらいで、すっかり弱ってしまった昨日、とくにそう感じた。
それから、筑紫哲也が肺ガンで亡くなった。TVにボチボチ出ていたから、治ったかと思っていたのに。この時期、亡くなる人が多いようだ。季節の変わり目って、人間の心と体に不思議な作用を及ぼすものだと思う。

2008年11月6日木曜日

選択の難しさ

私のブログは、今のところ悩んでいるだけ。これじゃ、他の人の参考にはならないでしょう(笑)。膵臓がんは、根治のための治療法が確立されていないから、患者は可能性を求めて自分で治療法を選択することになる。過酷な状態です。今まで、たくさんの人のブログを読んでみて、膵臓がんで治った人は、以下のパターンの人。          1)早期に発見されて手術も軽く、再発しなかった。                      2)ステージ4でも、体質的に化学療法が効いてガンが消えた。               私レベルの手術をした人は、QOLが低下した中、抗ガン剤治療をしてどんどん体力を消耗し、亡くなっているパターンが多い。だから、どうにも手術をすると死んでしまうような先入観が消えない。でも、もはや私の人生はロスタイムに入ってしまった。同点ゴールを決めない限り、延長戦はない。一応、女子医大に外来のアポを取った。手術がまだできるならしようと思う。無理なら抗ガン剤。どちらにしても、厳しい戦いです。勝ち抜いて、生き残ることはできるだろうか? 先のことを考えても暗い気持ちになるだけだから、今できることを頑張るしかないと、わかってはいるのだけど。昨日は、近所の温泉へ行った。一応、源泉掛け流しで岩盤浴もある。体を温めると、少し調子がいい気がする。

2008年11月5日水曜日

手術と化学療法と代替療法

はや11月5日。昨日、有明の癌研へセカンドオピニオンを聞きに行く。やはり手術が最優先と言われた。いくらそう言われても、術後のQOL低下を考えると、なかなか踏み切るのが難しい。糖尿病、下痢、食欲不振、傷の痛み、疲れやすい体質になるであろうetc。抗ガン剤で、あわよくばガンが縮小してくれないか、どうしても考えてしまう。毎日、ついネットサーフィンをして、他の膵臓がんの人のブログを読んでいる。長期生存の人もいれば、未完でぷつっと途切れている人もいる。精神衛生上、良くないのかもしれないが、自分の今後の経過を予測しておきたいのが人情というものでしょう。それにしても、未承認の薬や代替療法を探して探して試している人を見ると、そのフットワークと努力には、感心する。私がやっていることは、プロポリスとフコイダンを飲み、週2回岩盤浴へ行き、できるだけベジタリアンな食事を心がけているぐらい。それでも、痛みは増してきており、1日1回は痛み止めのハイペンを飲むようになってしまった。1回針治療をしたが、私の場合、なぜか一時的に痛みが強くなった。代替療法ではどうも治らない、と薄々感じる今日この頃。                                     一般的に考えて、手術をしてQOLの低下した生活で余命1年半。抗がん剤治療で余命1年弱。絶対にし遂げなければならない仕事もなく、気楽な独身で子供もいない。精神的には強くなりづらい環境だ。高齢の両親が心配といえば心配だけど、妹が二人いるから、彼女たちが何とかしてくれるだろう。もちろん治りたい。平凡な人生でも、もう少し生きていたい。

2008年11月1日土曜日

どうしたらいいの?

膵臓癌と告知されて、1ヶ月。難治癌と言われる膵臓癌になってしまい、不安にさいなまれながら治療法を模索する毎日です。この先、どうなるかわかりませんが、自分の足跡をたどるため、また同病になった方への参考にと思い、ブログを書くことにしました。2008年6月。腹痛のため、地元の一般病院へ行ったのが始まり。どうも膵臓が悪いらしい、ということで東京の大学病院で精査。自分では、てっきり慢性膵炎だと思い込んでいましたが9月下旬、膵臓癌との告知を受ける。受けた検査は、次のとおり。MRI、造影CT、ERCP、EUS。腫瘍マーカーは正常の範囲内。病理検査はCLASSⅢだが、明らかに不健全な細胞があり、画像との総合判断で膵臓癌だとのこと。医者からは、すぐに手術を勧められるが、膵臓癌の知識もまるでなく、パニックに陥った私は、気持ちの整理をつけるため、およびセカンドオピニオンを受けるため、いったん退院する。そして国立がんセンターへ行くも、同じ診断。どうやら本当に癌なのだと、ようやく認識。最初の大学病院で手術の予約を取ったが、再度の説明によると、手術はできるといってもぎりぎりラインの大手術。膵尾部切除、脾臓切除、左副腎切除、門脈切除&再建、腹腔動脈切除。これだけの手術をしなければならない癌の進行度を考えると、手術のリスク、再発の確率の高さなど、治癒の可能性のバランスの悪さから、手術不可と判断する病院も50%を占めるだろう、とのこと。この説明で手術に対する不安から情緒不安定になり、手術当日朝、医者の判断により手術中止。そのまま退院してしまいました。10月下旬のことです。その後、今日まで、再度手術を希望するか化学治療に切り替えるか、考え中。というか、もう判断がつけられず悶々としています。どこの病院へもかかっていないこの状況も怖く、何とかしなければ、と気ばかりあせっています。病院にかかっていないと、会社へ提出する診断書も書いてもらえません。化学療法でも治る見込みもなく、手術しても再発の可能性90%。どちらにしても平均余命は1年ちょっと。奇跡的に治る人が稀にいるだけの膵臓癌。ああっ! 一体どうしたら!!