2008年12月31日水曜日

大晦日

ブログを読んでくださっている方々。この数ヶ月、お付き合いいただきありがとうございました。来年が私にとって最も重要な年になることは間違いなく、このブログを最後まで書き続けられることが、私の来年の目標です。引き続き、よろしくお願いします。思い起こすこと、心に期すことなど、書き出せばいろいろあるけれど、それはまた、おいおいと。

今日は、掃除を少しと年賀状書きなど。稼働時間約6時間。それぐらいが、最近のリミットです。これ以上起きているのは、厳しくなってきました。夜は妹が来たので、一緒に年越しそばなど食べて過ごす。今は、TVで紅白歌合戦を視聴中。歌は「崖の上のポニョ」。藤岡藤巻のうち、藤巻さんのほうは、体調不良ということで途中からTVに出なくなったけど、もしかしてガンだろか・・・。気になりますね。
最近は、いつも11時くらいには寝てしまう私だけど、今日は、年越しまで起きている予定。

皆さん、良いお年を!

2008年12月30日火曜日

永遠の幸福

今年もあと1日になった。今年は1~9月までは普通の生活。ガンとわかった10月からは、怒涛の3ヶ月間だった。長かったような短かったような。一言で言えば、ものすごく消耗した。この年末年始は、少し心の休憩をして、来年からの戦いに備えましょう。3ヶ月間、私はよく頑張りました。自分で自分を褒めましょう。

今日は、会社のNさんとIさんが川越まで来てくれた。年末で忙しい時期なのに、ありがたい。お見舞いに、青いカーネーションをいただく。花言葉は“永遠の幸福”だそう。どうか、そうなりますように。二人と話しながら、来年は生きることを考えよう、と思った。体調は、どうせいつも悪いのだから、できるだけ動こう。会社にも、一度顔を出したほうがいいだろうし。

といいながらも、夕べのことは書いておきたい。ヒドイ目に会った。痛みが強かったのでモルヒネを5mgから7.5mgに増やして服用したところ、まず体が動かなくなって汗びっしょりとなり、次にトリップしたみたいに、いろんな妄想が頭の中をグルグルと回った。この状態で約3時間。麻薬の症状ってこういうことだったのか! 恐ろしすぎる。もしかして死ぬ前ってこうなるのかも、と思ったくらいだ。しかし、私は今後、麻薬を増やしていかないと、痛みに耐え切れないだろうし、どうしたらいいんだろう。この間、医者から、そろそろ腹腔神経叢ブロックを、と言われたが、こういうことを見越していたのかも。膵臓がんの痛みは、お腹に塊があるような鈍痛と、キリキリ刺すような疼痛と両方だ。薬がなかったら、とても正気を保っていられるような状態ではない。こうしている今でも、痛みを薬で遮断しているだけで、実際にはお腹の中で、そんな恐ろしい戦いが起きているのかとと思うと、それが恐ろしい。

2008年12月29日月曜日

借金延命法。と、ガン保険。

昨日、一昨日と体調が良く、頑張って出歩いていたのだが、その反動か、今日はダウン気味。昼すぎまで寝ていた。1時半ごろ、ようやく起き上がって、お昼を食べてこのブログを書いている。一応、そんなに体調は悪くない。体も軽いかんじ。おそらく抗ガン剤が休眠期間のせいだと思う。この先、抗ガン剤による治療が長引くにつれて、必然的に体力も落ちることを予想すると、今のこの年末年始は、自分で思っている以上に大切な時期なのかもしれない。梅雨の晴れ間、というべきか。無理してでも動いて、やりたいことをやらないと後悔しそうだ。ということで、誰かドライブに連れていってください。

<借金延命法>
一昨日、川越までお見舞いに来てくれた友人の提案で、ひとつ取引(?)をした。名づけて「借金延命法」。具体的には私が彼に12万円貸し、彼は毎月1万円づつ1年間かけて返済する、というもの。お金が全額返ってくるまで、私は心配で死ねないだろうから、来年1年間は生き延びる、という算段です(笑)。もし、途中で死んだ場合は、残額は妹に一括返済するってことで契約締結。私にとって12万円は大金だし、お金を貸すにあたっては、ちゃんと借用書も書いてもらった。証拠として、こうしてブログにも書いておくことにする。絶対に全額返してもらいますからね(笑)。それにしても川越のアフタヌーンティーで、ケーキと紅茶を飲みながら、ガンと借金の話をしている光景って、なんだか冗談みたいでリアリティがないけど、でも現実なんだな~、これが。両脇に座っていたお客さんは、どう思ったろうか。
自分が、難治ガンになったという最初のショックを通りすぎ、カウントダウンが始まってるという感覚は、私のなかではもはや日常の一部になってしまったのだが、死ぬ、ということには、まだ現実感がない。ないままに、ちょこちょこと準備だけしているから、自分のなかでリアリティがないというかギャグみたいになってしまってるんだと思う。もしかすると、最後まで実感はないのかもしれない。なぜなら死ぬ瞬間まで、生きているから。死んだ、とかいなくなった、とか思うのは、残された人間の感覚なのかもしれない。とはいえ、痛みを感じるたびに、ガンが巣食っていることは実感させられる。なんとかしてこれが消えないものだろうか。

<温泉>
昨日は、思い切って、狭山の温泉“まきばの湯”へ行った。もし倒れたら、と思うと、たとえ近場の温泉施設でも一人で行くのは怖かったのだが、どうしても行きたかったので。“まきばの湯”は、ここ2~3年、最低でも月1回以上は通っているお気に入りの温泉だ。温泉といっても、最近はやりの地下から発掘した温泉だけど、施設は綺麗だし、泉質は温泉協会から五ツ星認定を取った上質な療養泉だし。なんといっても、石を敷き詰めて、その下に温泉を通した岩盤浴が気に入っている。この日も岩盤浴をしたら、ガサガサだった手の甲が、一気にすべすべになった。免疫力も高まるって書いてあるし、ガンにも良さそうな気がする。毎日は無理でも、1日おきくらいに来ようかと思う。
温泉を堪能したあとは、仮眠室のお気に入りの場所のリクライニングチェアに陣取る。大きな窓から、冬枯れの雑木林と畑と農家と、秩父の山並みと青空が見える。この平和な見慣れた景色を眺めていると、自分が病気だということも嘘みたいに思えてくる。この先もいつもいつまでも、この景色を眺めていられるような気持ちになる。

<ガン保険>
実は今年の2月に、日本興亜生命のガン保険に加入していた。当時、自分がガンだとは思っていなかったけど、体調は悪かったので、保険を見直そうと、以前の保険を買い取って終了させ、新たに医療保険・ガン保険・年金保険、と3つに分散して加入していたのだ。今から思えば、何という虫の知らせ! 本能というか野生の勘では、自分がガンだと気づいていたのだろうか? ガンになったので、ガン保険を申請し、25日、めでたく保険会社から118万円が振り込まれました。3~12月まで、毎月2500円×10ヶ月=25000円の振込で、118万円ゲットだ。もらわないまま健康なのが1番とはいえ、ちょっと得した気分だ。

burogu

2008年12月26日金曜日

毎日

1日のうち半分以上はベッドで寝ている。寝ているほうが痛みが少なく、腰の辛さも軽減されて、体が楽なのだ。また腹水で腹部が圧迫されるせいか、もはやPCで文章を打つことも、結構辛い。座っている、という姿勢そのものが、もう辛いのだ。さらに1日2~3回モルヒネを飲むヤク漬け生活のため、眠気も強い。自分がヤク漬けになる日がくるとは、思ってもいなかった(笑)。書き出せばキリがないほど、不快感でいっぱいの日常です(笑)。

こんな毎日なので今日は、日ごろ読んでる本や聞いてる音楽のことなど。寝ている間にできることといえば、それくらいだし。最近聞く音楽は、なぜかクラシック。クラシックなんて、今までほとんど聴かなかったのに、この嗜好の変化は、年のせいなのか病気のせいなのか。今、お気に入りは、リストの「ため息(3つの演奏会用練習曲)」というピアノ曲。サロン風の小品だけど流麗で甘美な曲です。あとはシューベルトの歌曲と、ショパン関係一通り。クラシックのCDは長いものが多く、一度かければ、長時間持ちます。
本はもう片っ端から何でも。マンガでも小説でも。昨日は「モーニング」「スペリール」「ビッグコミックオリジナル」を一気読み。あと、ここ数日読んだのは「31歳ガン漂流」(奥山貴宏)、「意味がなければスイングはない」(村上春樹)、「北の人名録」(倉本聰)「「赤毛のアンに学ぶ幸福になる方法」(茂木健一郎)、「ターシャ・テューダーの世界」(写真集)など。それから「カムイ伝」を全巻読破(全38巻)しようと思い、まず5巻まで注文した。「アフタヌーン」も発売されたはずだから買ってこなくては。
昔から現実逃避の妄想が強い私の、今の憧れはターシャ・テューダー。もし長生きできるなら、私もあんな風な一軒家を構えて、自然に囲まれて暮らしたい、と心から思う。

2008年12月25日木曜日

メリークリスマス

といことで、今年も12月25日になりました。クリスマスらしいことは特にしてません。ここ数年、年末はコミケだったけど、今年は当然行かないので、静かな年末です。

昨日は、病院で年内最後の検査。造影CTの結果、ガンは、11月末のころと比べて、大きくも小さくもなっておらず、変わらないとのこと。ただ、また腹水が溜まってきてる様子。腹膜への転移は、相変わらずってことですね。普通、何もしなくても1ヶ月くらいでガンの大きさは変わらないので、抗ガン剤が効いてるかどうかは、全くわかりません。にも関わらず、副作用はてきめんで、白血球は1900まで低下。通常の基準値は4000から8000の間。どれくらい私の免疫システムがやられているか、この数字でわかるでしょう。免疫力が低すぎるので、老人だったら外出禁止、生もの(野菜サラダなど)も禁止になるらしい。そしてさらに、もうひとつの副作用である便秘にも悩まされてます。今まであまり便秘をしたことがなかったので、こんなにツライものだったなんて、と初めて実感。
今のところ状況が好転してるのか、悪化してるのか、それともその間なのか?今ある材料からでは、何も推察できない。宙ぶらりんな状態です。
担当医のオシャレ先生(35歳、独身)に、私がネット情報で見つけた、新しい抗ガン剤について質問したところ「あの会社が作った抗ガン剤なんて効かないから」と一言。名前をメモするわけでもなく、調べる気もない様子。治療法がないと言われる膵臓がんで、こっちはなんとか治せないものかと必死だっていうのに冷たいよね。彼のポケットには、何やら英文の書類が突っ込まれブルガリの腕時計をし、イケメンでインテリなのはわかるけど、そして根は良さそうな人だけど、もう少し、コミュニケーション能力を身に着けたほうがいいと思います。だって、新薬でもなきゃ、私は治らないんですよ。どうせ死ぬ患者なんだから、どうでもいいんでしょうか・・・?
緩和ケアの太っちょ先生(35歳、独身)は、正反対の赤いほっぺのほのぼの系。こちらの先生は明るい人で、雑談などもしやすい。「風のガーデン」のドラマのことも知っていたので「私は今、ドラマで言うと何話目くらいの進行状況でしょうか?」と聞いたところ、「いや、治療をスタートしたばかりの状態だし、この先、長くなるかどうか誰にもわからないしね。まだ1話目ってとこですよ」と、たとえ気休めでも優しい返事。お医者さんには、やはりこういうキャラクターを希望したい。
昨日は、抗ガン剤投与1クールの4週目で投与はなく、このまま年末年始休みに入り来年1月7日まで、抗ガン剤はお休み。本当に嬉しい。抗ガン剤なんて、自分の体に原爆を注入しているようで、気分が重いことこのうえない。けど、他に治療法はないのだ。

病院から出た後、池袋で、友人2人とお茶と食事をする。関西和風料理の店で、久々にカニ鍋を食べておいしかった。こんな風に、頑張って外出したり精力的に動いたりしなくては、と思うけれど、何しろ疲れやすいし、痛みは薬で抑えきれていないし、長時間外出することが不安。また、白血球が下がっている中、外出して風邪でもひいたら一大事だし。
来年、どうなるんだろうか。会社も休み続けて、早3ヶ月。この状態では復職できるメドも何もあったものじゃない。長生きできそうもないし、もはや年金は受け取れまい。なので、年金払うのももう辞めたい。

2008年12月20日土曜日

ドラマ、2本。

昨日一昨日と、かなりしんどくベッドで寝たきり状態だったが、今日はやや復活。洋服が着れました。
木曜日、ドラマ「風のガーデン」の最終回を見てしまった。膵臓がんの終末期は、かなり悲惨だった。とてもここに書けません。ガンで死ぬ、ってみんなああいうものなのだろうか・・・。身近にガンで死んだ人と言っても、叔父叔母ぐらい。最後に付き添っていたわけでも看取ったわけでもないので、私は実は何も知らなかったのだ、と思い知らされた。ドラマのラストに、緒形拳に対する追悼文が出ていた。最後まで俳優の仕事をすることができて、幸せだったろう、と思う。ストーリーから、出演者のバックボーンに至るまで、ガンが底辺に流れているドラマでした。
金曜日は「流星の絆」の最終回。飛ばし飛ばし見ていたドラマだったけど、画期的な構成で、すごい作品だった。ギャグもミステリーも満載で、登場人物も魅力的。そして、主役の二宮君、最高!!

2008年12月18日木曜日

晴れ

昨日、外来でジェムザールの投与に行ってきました。11時にがんセンターに着いて、採血→担当医の問診→緩和ケアの先生の問診→抗ガン剤の点滴。終了したのは17時。ものすごく混んでます。1日がかりです。白血球が4.4/血小板が8.4と下がり、肝機能が悪くなっているが、まだ大丈夫ということで、抗ガン剤投与となった。先生はいつもニコニコしているが、言ってる内容を深読みすると寂しくなる。こんな状態の私に「お酒も少しくらいなら飲んでも大丈夫だし、忘年会でも何でも行ったほうがいいですよ」と。思い出作りを推奨されている気がしてならないんですが・・・。それと今日わかったことは、担当のK先生が35歳ということ。若いだろうとは思っていたけど、やはりね。医者だけは年配の先生のほうが安心な気がする。
行きは電車で行ったが、帰りは妹が車で迎えにきてくれたので、それに乗って帰宅。助かりました。前回のような吐き気は無くなったけど、副作用については、まだ色々と心配です。また、痛みが増しているのでモルヒネを1.5倍の量に増やしてもらう。これって、抗ガン剤が効いてない証拠なのでは? と密かに憂鬱。マスクをする癖がついていなくて、ついマスクなしで外出してしまうが、白血球が減っているし、人混みに出るときは、感染症予防のために必ずマスクをしなくては。

今日は、一日パジャマでごろごろしてしまった。こんな生活でも会社や保険会社への書類を書いて提出したり、買いたいものがあったりと「やることリスト」は結構あるんだけど、どうにも倦怠感。昨日1日外出していた疲れもあるだろうけど、これも副作用か。
退院以来したことは、美容院へ行ってカットした、霊園の下見、病院の外来、これだけです。でももう、退院して1週間たつし、少し稼動しましょう。なんとかまだ少しづつなら動けそうです。不義理をしていた友人に会ったり、川越に新しくできた映画館を見に行ったり、日帰り温泉へ行ってみたり、部屋の整理をしたり。モルヒネを飲んでいるので、車の運転は控えるように言われてるけど、車がないと身動きできないし、近距離なら、許してください。

2008年12月14日日曜日

痛み止めのモルヒネの量が少ないようで、毎日午後になると、痛みが増す。水曜日にがんセンターへ行ったら、処方を頼んでモルヒネを増やしてもらおう。なんだか、もう抗がん剤をやる気もなくなってきた。ペインクリニックだけでいいような気がする。医者から何度も「手遅れ」と言われ、こうも痛みが増してくると「死ぬ」という確率的予想が、ますます実感を伴ってきた。やがてやってくる「死」にうろたえているばかり、という心理状態は嫌だけれど、泰然自若と迎えるほどの余裕はないです。それでもいよいよもって、自分の死をまじまじと見つめなければならなくなって、なんとか少しづつでも、気持ちを整理していきたいと思う。

葬式や法事の儀式、お墓について、私は無意味だと思っていません。本人は死んでいるのだから、考えるのも面倒だし詮無い話だ、と思うこともあったけど、人は幸か不幸か、自分の死後の事態を想像することができます。その死後への予期が、私の場合、現在の自分の生に対して影響を及ぼすみたいなので、面倒だけど、考えなくちゃなぁ、というところです。でも、本当に面倒・・・。今日、ドラマの「篤姫」が最終回でした。ああいう身分のある人の場合は、葬式やお墓について、儀式はすべて決まっていて、周りがすべて良きように計らってくれる、というのは楽でいいですね。

2008年12月12日金曜日

退院

治ってはいないものの、薬でのコントロールの仕方を覚えたので本日退院しました。予想以上に長い、計18日間の入院でした。それにしても、川越からがんセンターは確かに遠いけれど、親が2回しか面会に来なかったのは、ちょっとあんまりだと思う。18日間の入院費は、保険もろもろを適用して、自己負担額¥180,880。安いです。ちなみに正式な医療費合計額は¥696,380。保険のありがたさが身にしみました。

結局、入院中にジェムザールを2回投与。吐き気と発熱は、薬でコントロール。白血球と血小板が確かに減っており、これ以上減ると、来週は投与できないそうです。来週から、毎週水曜日に外来でジェムザールの投与に通います。
それにしても、びっくりするほど体が動かなくなってしまった。1時間以上起きているのが辛く、腰が痛いため歩き方までよろよろしてきた。本当に「病人」というかんじ。これは努力で直せるのだろうか? 薬が手放せなくなり、薬がなければもはや普通に生活することはできません。病院からもらってきた薬は、全部で15種類もあり、痛み止めのモルヒネは、これからずっとお友達になりそう。こうやって体が弱って死んでいくんですね・・・。食欲もほとんどなく、主食は果物。あと少しの野菜と炭水化物。腹部の膨張感が強く、これ以上食べられないのが実情です。膵臓以外にガンが、腹膜、リンパ節、肺に転移しているそうで、自分で思う以上に私は末期なのかもしれません。ジェムザールが効いてなければ、本当に春まで持たないだろう、と。

そして現在、困っているのが、がんセンターと連携して地元で面倒を見てくれる病院が見つからないこと。がんセンターのソーシャルワーカーが探してくれているが、すでに川越の3つの病院で断られたとのこと。容態が急変したときに駆け込み入院できる近所の病院がないと心細い。がんセンターまで救急車で搬送してくれるんでしょうか?またまた病院探しがあらたな課題です。はぁ・・・。

それと、他のサイトでも見つけたけど、やはりペプチドワクチンは有効なのか?がんセンターでは「マスコミが先走って報道しているだけ。期待しているというレベルで実績はない。むしろ効いていない。」と消極的だったけど、それを鵜呑みにしていいものなのか。助かるのならやりたいし。ネットで色々情報を見るとその真偽が気になり、振り回されて疲れます。

★以下、記事の流用★

がんペプチドワクチンの外来が始めてできたそうです。患者の負担も軽減する処置を執っているとか。こうした外来が全国に増えることを期待したいものです。

全国初のがんワクチン外来、久留米大病院開設へ

 久留米大医学部(福岡県久留米市)は3日、来春から大学病院内に「がんワクチン外来」を設置し、全国初のがん患者らへのワクチン療法を始めると発表した。

 がんの治療法は手術で患部を切除する外科療法、抗がん剤を投与する薬物療法、放射線療法の三つ。ワクチン療法は免疫機能を高めてがん細胞を排除する「第4の治療法」として注目される。

 同大の伊東恭悟教授(免疫治療学)、山田亮教授(がん免疫学)らによると、それぞれの患者のがん細胞の表面にあるペプチドと呼ばれるたんぱく質を特定し、同じタイプの「ペプチドワクチン」を患者に投与する。ワクチンががん細胞を攻撃する体内の細胞を活性化、増殖させ、がん細胞を排除する仕組み。

 吐き気などを催す抗がん剤などと違って副作用が少ないほか、週に1度注射するだけで入院も必要ないなど、従来の治療法に比べ患者の負担が少ない。

 前立腺がん、膵臓(すいぞう)がんなどの患者500人余に対する臨床試験で安全性を確認。延命効果が得られた患者も多かったとして、がんワクチン外来の新設を決めた。患者には少なくとも計6回、ワクチンを投与する。

 ペプチドワクチンは医薬品として国の承認を得ていないため、公的医療保険を使えないが、患者の治療費を数十万円(6回分)に抑え、残りは大学側で負担する方針。5年以内の医薬品承認を目指している。

 ワクチン療法は、ほかに東大や札幌医大なども研究しているが、外来を設けるのは久留米大が初めてという。同大の薬師寺道明学長は「どの治療からも見放された『がん難民』と言われる患者への治療法を考えてきた。患者に『第4の選択肢』ができたのではないか」と話している。
(2008年12月4日 読売新聞)


2008年12月 4日 (木) 膵臓癌の知識・情報 | 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月30日 (日)
癌ペプチドワクチン療法(続報)
東京大学医科学研究所の中村祐輔教授の「がんペプチドワクチン」に関してさまざまな情報がありますが、 PanCAN Japan (パンキャンジャパン・日本すい臓がん患者会)の「がんペプチドワクチン療法について」のページに、

膵がんに対してワクチン療法を実施している医療機関の一覧が掲載されています。

■膵がんワクチン療法臨床研究中の医療機関

●福島県立医科大学 第一外科 TEL: 024-547-1111
責任者 後藤 満一
担当医 木村 隆

●東京女子医科大学東医療センター 外科 TEL: 03-3810-1111
責任者 小川 健治
担当医 塩澤 俊一、金 達浩

●東京女子医科大学 消化器外科 TEL: 03-3353-8111
責任者 山本 雅一
担当医 有賀 淳

●札幌医科大学 第一内科 TEL: 011-611-2111
責任者 篠村 恭久
担当医 細川 雅代

●九州大学 先端分子・細胞治療科 TEL: 092-641-1151
責任者 谷 憲三朗
担当医 伊賀 睦了

●川崎医科大学 臨床腫瘍科 TEL: 086-462-1111
責任者 山口 佳之

●和歌山県立医科大学 第二外科 TEL: 073-447-2300
責任者 山上 裕機
担当医 谷 眞至、宮澤 基樹

問い合わせ先:

東京大学医科学研究所ヒトゲノム解析センター 中村教授
03-3443-8111(代表)
http://www.ims.u-tokyo.ac.jp/nakamura/main/top.html

2008年12月10日水曜日

入院生活4

退院は、金曜になりそう。昨日ジェムザールを投与したけど、今のところ熱もなく、安定してます。しかし、効いてるのかな。退院したら、イケメンの担当医2名と毎日会えなくなるのが寂しいです。

2008年12月8日月曜日

入院生活3

ついに入院2週間。外はかなり寒くなったようですが、病院の中は半袖で大丈夫です。
痛みと吐き気は薬でなんとかコントロールできるようになったけど、腹部の膨張感と便秘には悩まされています。明日、二回目の抗ガン剤投与です。その副作用次第しだいですが、木曜には退院できるだろうと予想。先生からは、病院に飽きたら退院してください、と言われてます。でも退院後、家で一人でこの病気と向かい合っていくのもつらいなぁ。

2008年12月6日土曜日

入院生活2

やっと病院のpcから書き込み。操作がすごく面倒。お見舞いにきてもらった方々、ありがとうございます。
ジェムザールの副作用で吐き気発熱はあったものの、なんとか治まり今日は小康状態。
今回のガンの件で、改めて考えさせられたのは病院選びのむずかしさと、お一人さまの闘病生活と死、ってこと。入退院の手伝いや、先生の話の同席などは、どうしても仕事を休む必要があり、肉親でないと頼みづらい。また最近、心の贈与、という言葉についても考える。これらのことは、退院してからあらためて書きたい。